卒業。 〜Page 6〜


◆6◆

 荒く息をつく私を、彼女がそっと抱き締めてくれた。
 ありがとう。
 そう呟くと、聖は今度は触れるだけのキスをした。



「答辞。卒業生代表。三年椿組、水野蓉子」
「――はい」
 思い返せば、高等部の三年間は――
 全校生徒と父兄の前で壇上に立ちながら、私は答辞を読み上げる。
 後悔。
 あの時、江利子はそう言ったのだそうだ。
 好きなら好きと言えと。二度と後悔するなと。
 多分、聖に想いを告げない選択肢だってあったのだろう。私が何度も自分に誓ったように、そのまま卒業をして、友達のまま付かず離れずの関係を続ける事も――。恐らく聖とあのまま薔薇の館を去っていれば、そうなっていたに違いない、今も。
 ――けれどそうならなかった。
 あの日、江利子が薔薇の館にいなければ。
 聖と私が薔薇の館を訪れていなければ。
 互いに訪れる時間がずれていたなら。
 私が一人給湯室に行かなければ。
 聖と江利子が話をしなければ。
 様々な可能性たちが存在していた、あの日、あの薔薇の館では。
 きっと私はこれからも様々な可能性の中、様々な選択をしていくのだろう。
 答辞を読み上げる途中で、ちらりと視線をそちらに向けると、まさか眠っているのか目を瞑っていた。――さすがは江利子。卒業式の――しかも自分が卒業するという席で眠りこけているとは。
 けれど彼女には感謝をせねばなるまい。

 ――けれど。

 胸の不安が拭えなかった。



「蓉子」
 あれから聖は少しも変わらなかった。
「オツカレサン」
 式が終わり、体育館を出た時に後ろからぽんと肩を叩かれた。いつもと変わらぬ声音に戸惑いながらも安堵している自分がいて。
 何か睦言めいた事を二人きりのときに囁くでもない。授業がほぼ休みである事もあって、過日の事についてはおろか、殆ど会話らしい会話もしていなかった。無論電話など掛かっては来るはずもなかった。
「おっつかれ〜! いや〜面白いもの見せてもらったわよ!」
 別の方からの声に振り向くと、江利子が卒業証書を片手にペチペチと乾いた拍手を鳴らしながら来る所だった。後ろの方には熊男――基、山辺氏の姿が見えた。しかし直ぐに体育館から吐き出されていく生徒たちの波に紛れて見えなくなる。機嫌が良いのも頷けた。
「やあね。あなたの妹も『面白いもの』の片棒を担いでたじゃない」
「我ながらいい妹を持ったと自分で感心しちゃったわよ」
「もう!」
 江利子が式での一幕を揶揄してけらけらと笑う。祥子が送辞を読み上げる際、涙で言葉に詰まった所を、すかさず壇上に駆けつけた令が後を引き継ぎ、最後には二人で読み上げたのだ。
「祥子があんなにオイシイ事してくれるなんて思いも寄らなかったわ。お陰ですっかり目が覚めたわよ」
「嘘おっしゃい。あなた寝てたじゃないの」
「あれは目を瞑ってただけよ」
「そ――」
「んじゃ、お先に」  私と江利子のやり取りを見ていた聖が、苦笑しながら踵を返す。この後HRがあるのだが、どこかふらついてから教室へ行くつもりか、昇降口とは別の方へ足を向けていた。その背に声を掛ける。
「後で皆で写真撮るのよ。覚えてる?」
 そう声を掛けると聖は背中を向けたまま右手の親指と人差し指とで小さな輪っかを作ってみせた。
 最後までどうしてこうも御節介をやく癖が抜けないのだろう。そう頭の隅で思っていると、不意に聖が声を掛けて来た。
「あ、そうだ。蓉子」
「え?」
「明日、空いてる? ちょっと出掛けたいんだけど」
「え? ええ。空いてるけど……」
 どきりとした。
 突然の申し出に驚きつつも頭の中のスケジュール帳をめくる。取り立てて何もなかった筈だ。
 何だろう。不安が増した。
 聖と二人で出掛けた事など山百合会の割り当てで当番としてあるくらいで、プライベートでは殆どなかったから、恐らくは二人ではないのかも知れない。
「デートしよう」
「え?」
 声を上げたのは江利子だ。私は絶句して聖をまじまじと見つめる事しか出来なかった。江利子がさも新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに、声を弾ませる。
「ちょっとやだ。本当にそんな風になっちゃったわけ?」
「まあね」
 さらりと言ってのける聖。
 私は本当に口が利けなくなった。
「うわ、すごい! まさか本当にそうだとは思わなかったわ!」
「え!? まさかカマかけただけだったとか?」
「当たり前じゃない! さすがに親友同士がそんな風になるなんて思いもしないわよ」
「まじ?」
 まいったなあ、と聖が頭を掻く。しかしさして困ってなどいないのは一目瞭然だった。
 おまけに、そういう事だからよろしく、なんて言ったりしている。
 江利子は聖と私を見比べ、新しい『面白い事』にニヤニヤしている。
「蓉子!」
 聖が私の名を呼び、それだけで心臓が跳ね上がった。
 私はごくりと唾を飲み、息を吐き出すと、思い切って聖に問いかける。江利子の視線にどぎまぎした。
「ど……どこへ行くの?」
 意識は半分ここにあらず、という調子で聞く。こちらから例の事を話題にするのは到底出来なかったし、あまりの聖の素っ気無さに過日の出来事を酷く遠く感じていたが、いよいよあの時の出来事をまざまざと思い出してしまい、顔が紅潮するのを止められなかった。
「いや、別にどことか決めてないけどさ。蓉子とどこでもいいからデートできないかなぁと」
 いつも通りの素っ気無さで、聖がそう言う。
 その言葉に、全身が震えた。
「あ……あれからあなた何も言ってくれないから、私どうしていいか……」
 聖にとっては、もしかしたら然したる事ではなかったのかもとすら考えたりもした。そんな事がある訳はないとは思っていたし、そんなに器用な人間じゃない事は誰よりもよく分かっているつもりだったけれど、酷く不安だった。あの日、お風呂に入りながら聖が私に刻(のこ)した痕跡を鏡で見た時、それだけでどうしようもなく嬉しくなった。けれど、一人で部屋にいると訳も分からず不安になった。彼女に会いたいのに、電話一本掛ける勇気もなくて。
「聖……!」
「え? ちょっと、なんでどうしたの?」
 私は卒業証書を落とした事にも気付かず、両手で顔を覆って泣き出した。止めたくても、湧き出て来る涙を抑える事は出来なかった。
 聖にすがって泣くようないじらしさもない自分が恨めしい。
「あー。聖が蓉子を泣かしてるー」
「ちょ……! 蓉子! ああ、もう。弱ったな」
 んん、と咳払いが聞こえ、ぽんぽんと頭を撫でられた。
「ごめん。えーと、江利子に言っちゃマズかった?」
 私は顔を覆ったままぶんぶんと首を振る。
「えっと、私と出掛けるの、嫌?」
 更に強く首を振る。
「ええっとぉ…………。ごめん。何で泣いてるのか分かんないんだけど」
 そう言って背の高い聖が腰を屈めて顔を覗き込んで来るのを、顔を逸らして押し退ける。振り返ってて背を向けると、今度は背中の方から覗き込まれた。
 私は、懸命に指で涙を拭うと、人目も憚らず大きな声で言った。
「んもう! ――ばか!」


 素っ気無いというか不器用なのは分かっていた筈なのに。  きっと、これからもずっとこんな調子なのかも知れない。振り回されてばかりいるのだろう。聖にも。そして江利子にも。
「蓉子、上履き持った?」
 HRを終え、昇降口を出た時に、何事もなかったかのような口調で江利子に話しかけられ上履きがどうのとそんな話をしていると、彼女が遅れて現れた。先程の事などすっかり忘れたような口振りで会話に加わる姿が憎らしい。悔しかったから、私もそ知らぬ振りをしていた。
 これが二人なりの優しさなのか、単なる意地の悪さなのかは分からない。
 けれど、じゃあね、とだけ言って別れても、もう二度とリリアンの生徒として校門を潜り抜ける事はなくても。
 ずっと私は皆に振り回され、御節介をやき続けるのが分かっていたから。
 後悔することなく学び舎を去ることが出来た。

 私は振り向かずに、感謝をした。
 この学舎という箱庭で出会えた大切な人、皆に。

 日差しが、温かかった。



THE END

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あとがき

★初のマリみて聖蓉SSなのに、じゅーはちきんですよ……。どんだけ沸いてんだ、自分。
★いや……まあ、ハジメテなのにきゅんきゅんしちゃってる蓉子さまが書きたry

★ネタを考え付いた時には、全然じゅーはちきんハナシじゃなかったのにな。ただ、聖と蓉子さまがくっつけばいいな、って思ってただけなのにな……。ふふ。

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