Touch me softly ~SCENE 2~


「…………」
 静留が白い指で涙を拭うのを押し退け、なつきがパジャマの裾で少々強引に涙を拭った。
 互いに言葉を飲み込んだまま、やがて再びなつきが片膝をついて、静留の頬に手を掛けた。
「ほら。言ってくれ。わたしに……どうしたい?」
「…………」
「信用しろ。あんな事、もう二度は言わんぞ」
 酷く赤い顔をして少し怒ったように言う。
「……」
「おい、……静留!」
「静留」
「しーずーるー」
「静留ぅ……」
 短気ななつきにしては随分と辛抱強く待ってくれてはいたが、静留とて容易に切り出せるものではない。少し口を開きかけるが、開く度に言葉を飲み込んだ。
「……ほんまに幻滅したりせぇへんの?」
「……ああ。しない」
 本当にそんな自信があるのだろうか。
 うちの全部って何?
「うちは、あんたに――」
 言い掛けるとなつきが微笑んだ。また泣きたくなる。
「触れたい。触りたいんよ、あんたに。あんたの事抱きしめて、キスして、それからもっと……」
 息が詰まった。
「もっと、あんたに対して邪な事、考えてるんえ。あんたが思いも寄らんような事……!」
「………………そうか」
 ぽつりと呟くと、なつきは一度瞬いて、やはり微笑んだ。
「そうか、て。……そんだけなん?」
「まあ、な。わたしが思いも寄らない事なんてのは、その……よく分からんが、邪な事とか言うのは、まあ……その、まあそうなんだろうなとは思う。だからって、はいどうぞなんて言えないが――」
「何言うて……」
「まあ、大体分かった。そうか。そうだよな。そういうもんなんだよな」
 なつきはひとりで何事か納得して頷いている。
「何――」
「わたしはお前みたいに人に甘えたり抱きついたりとか、……いや、人を好きになってそういう…………というのがいまいち感覚的にだな、分からないんだが……。まあ、そう思うもんなんだろうさ」
「い、嫌やないの? うち、そういう目ぇで見てるんよ」
 言いながら、頬が熱くなる。
「はは。まあ、そうなんだろうな。ただ、お前の口から聞けて良かった。……わたしはそういう事に疎いからな。だから、お前の素直な気持ちが聞けて良かった」
 なつきは心配事がひとつ減ったかのような安堵の溜め息をさらりと吐(つ)いて、続けた。
「それに、だからってどうしようもないだろう。そんな事思うなって言う訳にもいかないしな」
「――言うてもええよ。そしたらうち辛抱します」
 きっぱりと言い切る静留。
 少し面食らったなつきが怪訝そうに問う。
「出来るのか?」
「……せなあかんやろ」
「本当か?」
 恐らく、わざと、扇情的に瞳を覗き込まれる。少しこちらに身体を寄せて、その分襟の広く開いた首元が眩しくて。堪えて、息を飲み込む。
 不意になつきの右手が頬から離れ、ぽん、と肩を叩かれた。
 そして、
 ――抱き寄せられた。
「無理をするな。ほら、好きなだけ触れ」
「…………」
 ――死にそうや。
 顔にも手にも身体中の触れ合ったすべての部分に熱が集中し、意識が遠のく。
「いいから。触れったら触れ。どこでも好きな所でいいから。――ああ、流石に今後はどこでもとは言わないからな。今だけだ」
 口調は強気だが、少し声が上擦っていなくもない。
 今だけ、なら。
 辛抱しきれるかも知れない。でも――、
「でも、あんたの気持ちは嬉しおすけど、でもうちがその気になってなつきの事押し倒してもうたら、どないしはるん?」
 冗談のオブラートに包んで言ってはみたが、それこそ冗談でも嘘でもない。本当の気持ちだ。
 う、という呻きが耳に届く。
「……――取り敢えず今はそれだけは勘弁してくれ」
 ――やはり。覚悟しているとはいえ拒絶は堪える。
「……冗談どす」
 そう告げると、ふ、と息を吐(つ)く声が聞こえた。本当に安堵したらしい。……無理しはって。
 やっぱり彼女の厚意は酷だ。
 ――でも、
 それでもどうしようもなくやっぱりなつきが好きで。
 ……うちも気張らんとあかんね。
「ほな……」
 酷く緊張しているのが自分でも分かった。
 膝に置いていた手を、ゆっくりと上げる。
 震える手で、そっと、なつきの背を抱いた。指先がパジャマ越しの彼女の体温を知って、それだけでもう胸がいっぱいになる。緊張で冷えきっていた手に、温もりが気持ち良かった。
「お前の手、冷たいな」
 少し、腕に力こ込めて、なつきを抱く。
 するとなつきも確りと抱き返してくれる。
「ほら、もっと確り力を込めろ」
「ん……」
 出来る限り、確りとなつきを抱きしめた。


「もういいのか?」
 こくりと頷いてゆっくりと身体を離した。
「ええ。おおきに、なつき」
 自然に溢れ出た穏やかな静留の笑顔に、なつきが微笑み返す。
「もう無理はするな。いつでも抱きつきたい時に抱きついていいから。――まあ、最初のうちはわたしも戸惑う事もあるだろうが、その内に慣れるだろうさ。だから気にするな」
 先程まではその笑顔が反って辛かったが、その内に慣れるだとか、冗談とも本気とも――恐らくは本気でそう思っているのだろうが、そんな気遣いを嬉しく思える程、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「……で、本当に、もういいのか?」
「……もっと触って欲しいん?」
「ば、馬鹿! わたしは――」
 途端に本気で焦るなつきを、いつものように笑顔で躱して問う。
「ほんなら、もう一度だけええやろか?」
「あ、ああ……。いいぞ。ほら」
 言いながら、少し警戒しているのが可笑しい。
 くすりと笑って、静留は告げた。
「目、つぶってくらはるやろか」
 そう言うとなつきが目を見開いた。ごくりと唾を飲み下した後、長く息を吐(つ)いて、口を真一文字に引き締めて目をつぶる。
 何を覚悟したかは想像に難くない。互いに向きあって目をつぶってする事と言えば……。触れるという事は手で触れるだけに限らず、唇で振れても構わないのであって。大人しく目をつぶったという事は、“それ”でもいいという事か。
 恐らくは自ら“どこでも”と言った手前、拒むに拒めないだけなのだろうが。それはそれで彼女の覚悟を嬉しく思うが。でも――
 “それ”は、今は気持ちだけ受け取る事にしときますわ――
 静留はなつきの肩に手を添える。
 なつきに顔を近付ける。唇で鼻先を掠める。柔らかな唇を見つめ息を飲み、そして、……赤く腫れたなつきの額に口付けた。
「……!」
 覚悟していたのとは違う不意打ちになつきが思いきり目を見開いた。
 すると視界いっぱいに静留がいて、その距離に息を飲む。
 慌ててもう一度目を閉じたが、どうしても額に意識が集中してしまい、息も接げないで異様に緊張して息苦しくなる。
 ただ、その中で――、
 その感触の優しさに、少しだけ、感動した。
 温かくて柔らかい。
「ここ、ベッドから下りた時にぶつけはったんやろ? うちの所為やね……」
「いや――」
 言いかけ、止めた。もう一度、ふうわりと唇が触れたから。 
「……まあ、そうだな」
 代わりに肯定の言葉を告げる。

 ……まあ、悪くはないか。
 こういうのも。


「ところで、今何時やろか?」
 静留の声に、はっとして壁掛け時計を見上げる。
「7時35分――、なんだ、まだ早いじゃないか」
 ほっと息をついたが、静留は、あらあら……と慌てているんだか落ち着いているんだかよく分からない感動詞を漏らすと、立ち上がった。
「うち、早めに行って処理せなあかん書類があったんよ」
 こらあかんねえ、と徐に仕度を始める。
 然りとてなつきはこんな早くに登校すべき理由はない。静留があれこれと動き回って自分一人宙ぶらりんな状態なのも落ち着かないので、ごろりと横になった。その後で、こちらが静留のベッドだった事を思い出す。
 微かに、静留のにおいがする。
 ふと先程の事を思い出す。
 なんとなく顔が赤らむ。
「いや、寝る!」
 改めて布団に潜り込むと、なお静留を強く感じてしまう。
 なんだ、これは。何でもないぞ、わたしは別に静留の事は……いや、あいつがわたしに好意を持つのは勝手だが、わたしはまだそういう風に思って……なんだ、まだって。わたしはあいつの事――
「もう、折角なんやから、起きたらええやないの」
 ぐい、と掛け布団を引かれる。
「わあっ!」
「ほら、なつき!」
 布団を引き剥がされ、心まで見透かされたような気がして赤面してしまう。
「な、何するんだ、静留!」
「そのまま寝はったら確実に遅刻しますやろ。そんな事うちがさせません。ほら、起きて、なつき!」
「わあ、馬鹿、やめろ! 何するつもりだ!」
「何て……。着替え、手伝うたげます」
 そう言って、パジャマのボタンに手を掛けられる。あっと思った時には既に二つ、三つボタンが外されていた。――神業だ。
 慌てて前身頃を引合わせる。
「いいいい、いらん。分かった、自分で着替えるから、お前は自分の用意を済ませろ!」
「あらー、残念やわぁ。朝からええもん拝まして貰えるんかと思たんやけど……」
「拝ませるか!」
「――ほんのちょっとだけやったわぁ」
「しっ」
 顔面が沸騰する。
「静留!!」

 結局いつものペースに巻き込まれてしまう。
 静留の、ペースに。
 ……まあ、悪くはないか。



fin.





あとがき

★前作「綺麗な夢のその果てで」の続きにあたります。

★……どうも静留さんを乙女に書いてしまいますなっっっ。そしてなつきを男前に書いてしまいますなっっっっっっ。あれ~なんで静なつ書くとなつきが男前になるんだろう。あれだよね、25話がもうステッキーに男前だからね!
★あのキスシーンは大好きだ。表情がね、いいんだよ。それにあそこで二人をくっつけずに「お前の望むような気持ちは持てない」と言わせた脚本家の吉野さんに敬礼! ちゅーさせた吉野さんに敬礼!
★あのキスは思いっきりなつきの自己満足というか、間違った優しさだよね。愛してもいないのにちゅーすんなっつー。でもあそこで抱き締めるんじゃなくてちゅーするっちゅうのが、なつきの男らしい所であり、間違った優しい所であると。…ええ、そんななつきさんが大好きです。
★しかしあのシーンはちと尺が短かった! お陰で静留さんの心境を描いたシーンが一切なくて、「嬉しい…」だけだから、ちと不満も。辛そうに苦笑するシーンだけでもあって欲しかったなあ。

★って、全然、今回のSSと関係ない話を……。
★今回こんなに長くなる予定じゃなかったんだけど…。もっとさらっと書く予定だったんだけど、なんだか伸びちゃいました(笑)
★でもこの二人書いてるのはめちゃめちゃ楽しいです。うひゃひゃ。


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Saku Takano ::: Since September 2003