祭の夜


 ……やっぱりお祭り騒ぎは苦手だ。

「じゃあ、わたしは行く」
 そう言い置いて、くるりと踵を返す。
「あれ? 玖我さん行っちゃうの? これからフォークダンスだよ~」
「そうそう。お楽しみはこれからこれから」
 舞衣のクラスメートの瀬能あおいと原田千絵が、なつきの背に声を掛ける。なつきは半分程身体を振り向けて、苦笑いを示して置いて、ぶっきらぼうに言い捨てた。
「生憎とダンスだのなんだのと、そんなものに興味ないんでな」
 ひらひらと手を振り、俄に活気づき出した人込みに紛れて逃げてしまおうと足を進める。
 ――命は飼い主に返しておいてくれ。
 ついでにそう言うと、返事を待たずに歩みを速めた。

 ――風華学園の創立祭は果たしてただの学校行事と呼ぶには少々規模が大き過ぎた。
 毎度の事ながら殆ど風華一帯を巻き込んで執り行われるこのお祭り騒ぎには、驚嘆を通り越して呆れてしまう。通常の学園の文化祭とは様相を異にし、地域の企業の出展もあり、敢えて聞いた事はないが動く金額も尋常な額ではない筈だ。それを一手に引き受け取り仕切っているというのだから、生徒会長というのも楽な仕事ではないな。――まあ、その生徒会長さま自身の口から苦労だのなんだのとそんな愚痴を聞いた覚えもないが……。
 その祭ももう直に終わる。
 打ち上げ花火も夜の帳に消え、後はキャンプファイヤーを囲んだ生徒たちのフォークダンスを残すのみである。
 模擬店だの企業出展だので散財するのはまだいいが、フォークダンスなどは虫酸が走る。勘弁して欲しい。そう思ってなつきは次第に輪を作り出す生徒たちの間を縫って、暗闇に消えた。

◆  ◆

「ほな、うちもそろそろお暇しよかしら」
 学内の茶室で、自分の為に立てた抹茶の三口目を口にして亜麻色の髪の少女が独り呟く。流石に講師の名に恥じる事のない作法で綺麗な飲み方だった。茶碗に殆ど泡も残らない。
「それにしても今日はええお抹茶納(い)れて頂きましたわ。お陰で商談もうまい事まとまりましたしな。風華堂さんにはお礼状出しとかなあかんね」
 馴染みの老舗の名を口にしてほう、と息をつく。
 それにしても今日は一日中接待ばかりで流石に疲れてしまった。肩にも背にも重いものがずっしりと溜っている。
 しかし、大きなトラブルなどの報告がこちらに来ていないのだから、仕事が接待だけで済んだのはそれはそれで良い事なのだとも思う。まさか何もなかったと言う事もないだろうから、黎人がうまく立ち回ってくれたのに違いない。
「明日は美味しいお茶を御馳走せなあかんね」
 そう呟いて、瞳を伏せる。
 ただ――、
 何事もなかったのは喜ばしい事だが、祭の成功を何一つこの目で見る事が出来なかったのは惜しい気がする。精々茶室から独りきりで花火を見ただけだ。
 ――否、何も創立祭の成功が見たかった訳じゃない。
「うちも、一般(ただ)の生徒やったら……」
 なつきと一緒に模擬店や、企業出展の店舗を回ったり……。
 などと思っても栓のない事を思ってみる。――否、これも自分で選んだ道なのだから仕方がない。
 今、祭の夜も更け、ゆっくりと一服出来ている事を素直に喜ぼう。
 静留は手にした茶碗を目を細めて眺めやる。今日の為に持参した逸品だ。
「これもええ御作や……」
 ひとしきり眺めた後、満足げに微笑んで、一五代楽吉左衛門の名器を膝の前に置く。独りきりの茶室で誰が見ているでもないのに、適度に緊張感を保った優雅な仕種で作法通りに茶碗を清めていく。水指から柄杓で清水を取り茶碗に注ぐ。指先まで神経の通った指遣いで柄杓を戻し、綺麗に茶碗を清めた後、水を建水に捨てる。
 とその時。
 誰かの足音が聞こえ、戸を叩く音が聞こえた。
 今時分はフォークダンスの最中で、先生方も無礼講で楽しんではるか休憩でもしてはる頃ですのに……どなたさんですやろ?
 尋ね人に思い当たらない彼女は疑問に思いながらも、開いてます、と戸の向こうに声を掛けた。
 そろそろと戸が開く。
 そしてそこに姿を現した人物を見てあっと声を上げた。
「……なつき!」
 どこか居心地の悪そうななつきが、もそりと入って来る。
「やはりここか。一度生徒会室に寄ったんだが、いなかったからここかと思ったんだ」
「どないしたん? フォークダンスはええの?」
 少し悪戯っぽい微少を浮かべた静留は、なつきが「それ」を毛嫌いしているのを知った上でわざと言う。
 そんな彼女をぎろりと睨むと、なつきは不機嫌そうに戸口近くにどかっと腰を下ろした。静留はくすりと笑ってなつきに声を掛ける。
「そんな所におらんで、こっちに来はったらええやないの」
「……。じゃあ……」
 すると思いの他あっさりとなつきは立ち上がり、奥へと足を進めた。その時、何かがしゃり、と音を立てた。
 畳の縁(へり)をのっしのっしと踏む。茶の席の作法も何も知らないそんななつきを見てくすりと笑う静留。
「なんだ?」
「なんでもありません。――お茶、飲みはる?」
「ん、ああ。……いや、やっぱりいい。疲れているんだろう?」
「うちも今点てて飲んだ所やさかい」
「――でも、」
「遠慮せんときよし。なつきの為やからね」
「……ん、そうか」
 じゃあ、頼む。そう呟いたなつきに微笑んで、改めて道具に向き直る。
 ――火、落とさんで良かったわ。そう呟いて水を切った茶碗を茶巾で拭く。淀む事ない作法で進めていく点前を見てなつきは、ん、と小さく咳払いした。
「…………」
 そして慣れない場で少し緊張した面持ちで居心地悪そうに、膝を正す。
「二人しかおらんし、そないに緊張せんでええよ。膝、後で辛ぅなるから、崩したらええよ」
「いや……、いい」
 そうとだけぽつりと呟くと、なつきはまた少しだけ居住まいを正す。
 静留はなつきに気付かれないように小さく微笑むと、抹茶を茶碗に落とす。――後で足を痺れさせるなつきが見物やな、そんな事を思っている事は彼女には分からないだろう。
「――どうぞ」
 茶碗を一回しして、なつきの前に静かに置く。
「ん、……ああ。い、いただきます」
 静留は微笑んでなつきを見守る。
 ずずず、と啜る音が茶室に響く。
「……思ったより苦くないな」
「美味しいお茶は、飲みなれてへん人もそないに苦く感じへんと思いますえ。それに飲み易いように少し薄めに点てたさかい」
「ああ、そうか。うん、うまいな」
 また、ずずず、と鳴る。しかし煽った茶碗を下ろしたなつきの笑顔に、小さな作法なんかどうでもよく思えてしまう。
 やがて、なつきは最後の一口を一気に飲み干すと、手持ち無沙汰に茶碗を静留に押し返した。
 茶碗の底には飲み残しはない。飲み慣れていないと、泡の飲み残しがどうしても出来てしまうものだが、思いの他綺麗な茶碗に静留の頬がまたしても綻んだ。

「ところで、背中に隠してはるのはなんですの?」
 そう言うと、静留はなつきの背中を覗き込む仕種をしてみせた。
 するとなつきは、然も今思い出したというように、ああ、と大袈裟な仕種で頷く。
「どうせ静留はずっとここでお偉方の相手をさせられていたんだろうと思って、持って来たんだ。ああ、別にわざわざ買ったんじゃないぞ。命に買ってやったのが余ったんだ。あいつはよく食べるから、そう思って買い過ぎたんだ」
 そう言って、風華学園の校章の入った白いビニル袋を背中から回す。
「あら、美味しそうなタコ焼きどすな。それにお好み焼きにフランクフルトに……」
 目に入ったものを口にして行くが、名を挙げては切りがない程色々出て来るわ出て来るわで、静留は目を丸くして驚いた。
「なつき……」
「いや、ずっとここにいちゃ、祭の雰囲気も何も分からんだろうと思ってな。お前が折角骨折って準備した創立祭だ。……だから、な。少しぐらい祭の余韻を楽しんでもバチは当らんだろう」
 少し顔を赤らめて、視線を逸らしながらなつきはそう告げた。
「だ、だからって、さ、さっきも言った通りわざわざ買ったんじゃないからな。余ったんだぞ!」
 でも――。
 ビニル袋からは温かな空気が溢れ出て来る。余り物を持って生徒会室へ寄ってそれからこちらへ足を向けたにしては、随分と暖かい。
 恐らく、フォークダンスを抜け出してその足で買って来てくれたのだろう。
「……おおきに、なつき。ほんま、おおきに」
 静留は大事そうにビニル袋を抱え、何度もおおきにと言った。
「大袈裟だな。……お前、そんなに腹が空いていたのか?」
 そう言うなつきの照れた軽口も、ぶっきらぼうな言い種も、赤く染まった頬も、その全てが――

 愛おしい。

「おおきに、なつき……」

 ああ、こんなんされたら、なつきの痺れた足、からかえないやないの。
 そろそろもそもそとし出したなつきを見て、そう思いつつ静留は笑みを浮かべた。


fin.



あとがき

★創立祭。
★静留さんは一日中茶室ですか? と思ったので書いてみました。どうしても学校行事では生徒会長なんて損な役回りになりそうですな。
★それにしても静留さんは文句ひとつ言わずに仕事してくれそうです。そんな所がたまらなく静留さんはかっこいいです!やっぱり静留さんは生徒会長だからこそかっこいいです!! しかもうるさ型じゃないし(遥は遥で好きだけどw)

★んで、創立祭当日。なんのかんのと単に顔を合わせちゃっただけの命の面倒をみちゃってる(食物与えまくってる)なつきさんが大好きです(笑)あれ、お金って絶対なつき持ちだよね。
★でもあれだ。なつき、サボるつもりだったけど、静留や舞衣に言われて参加したんだ。
★でもなんとなく思うんだが、こういうイベントの時って、静留さんの体が空いていたとしても、とりまきがいるからなつきとデートって事はなさそうだ。
★でもたまゆら祭の時くらいなつきと一緒にいて欲しかったな~。なつきは一番地の事さぐって祭のまの字も拘わらなかったけど、静留さんが浴衣着てたって事は、静留さんはとりまきたちと約束してたんだろうね。水晶宮にリボン掛けた後、とりまきたちと落ち合ったのかな?

★そのネタでもいつかSS書いてやろう!

★所で茶に関しての描写は一切不問でお願い致しますっっっっっ(笑)


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Saku Takano ::: Since September 2003