想 ―おもい― |
「どこか行きたい所は……ないか?」 パタンとノートパソコンが閉じられ、さも何かのついでだ、とでも言いたげにぶっきらぼうに尋ねられる。 窓辺で初秋の風を受けていた静留は、驚きながら生徒会長席でふんぞり返る友人を振り返った。 「また唐突やね。いきなり何の話どす?」 「いや、いつもコイツで世話になっているからな。その、礼というか、なんというか……」 友人――玖我なつきは先程まで使用していたノートパソコンを指先でコツコツと叩き、静留からは少し目を逸らすように前方に視線を泳がせながらそう言った。 静留は思いがけない嬉しい申し出に一瞬我が耳を疑う程だったが、戸惑いなど臆面にも出さずやんわりと微笑む。 「そないな事、気ぃ使わんでもええよ。うちが好きで貸しとるだけやさかい」 一度は何事も断るのは京都の気質もあるだろうが、なつきの重荷にはなりたくはないと、理性でそれを考える前に既に口がそう断りを入れていた。 ……なんでうち、こないに臆病になってしもたんやろか。――ふと思考の隅で、ぼんやりと考える。 本当に大事なもの程ギリギリの境界線で遠ざけてしまうのは、そうしていないと自分から壊してしまうのを知っているから、か。 「いや。お前には色々と世話になっているからな。――で、前にどこか行きたいとか言っていただろう。お前の都合が良ければ付き合ってやろうかと思ってな」 礼だと言いつつあまりにも愛想のない物言いに、静留がいたずらっぽくさらりと言う。 「あらー。デートのお誘いやろか」 「ば、馬鹿! なんで女同士でデートになるんだ! ただの礼だと言っているだろうが!」 なつきはそう叫ぶと、真っ赤な顔をしてこちらを睨みやったかと思うと、待ち構えていた静留の目と目が合った途端、思いきり顔ごと逸らしてしまう。 思った通りに焦る反応がなんとも彼女らしい。――赤面した顔は照れているのか、怒っているのか。それを問えば後者だと言い張る姿まで想像出来てしまう。 「いややわ、そないにムキにならんでもええやないの」 「お、お前がおかしな事を言うからだ!」 なつきは吐き捨てるように言うと、再びデスクチェアにドカ、と腰を下ろし直す。 そのふてくされた姿に静留が思わずくすりと笑みをこぼすと、それを見咎めたなつきがフンと鼻を鳴らせた。 「で、どうなんだ? 行きたくないのか?」 恨みがましい視線を静留は笑顔で躱し、なつきの近くに寄り彼女の髪に手を伸ばす。――何気なさを装い、他意など感じさせぬように細心の注意を払って。 「何言うてはるの。行きたくないわけあらしません。他ならぬなつきからのお誘いやからね」 そしてその手で肩を叩くと、なつきはバツの悪そうな表情を浮かべ、静留の触れた髪に手をやってそれを弄んだ。 静留は少し目を細めて自らの頬にかかった髪を梳き、 「ほんまに嬉しいわ」 ――そう言って、なつきににっこりと微笑んだ。 真直ぐにこちらに向けられた笑顔がなんだかこそばゆくて、なつきは小さな咳払いをひとつ漏らすと、小さな声で呟いた。 「そ、そうか。ならいい」 「で、どこへ行きたいんだ?」 相変わらずぶっきらぼうな態度は変わらない。 だが、それが精一杯の彼女の優しさだと分かるから、そんな態度がむしろ愛おしい。 「そうやねえ、……ああ、行こ思てたお店、思い出しましたわ!」 「店?」 「雑誌に載ってたんやけど、可愛いらしお店なんよ。なつきの下着、見繕いましょか?」 「はあ?」 案の定なつきは驚いて、思いきり柳眉を歪ませた。 「なんで私の下着なんだ! お前が行きたい店なんだろう!」 「ええやないの」 「良いワケあるか!」 何を想像してか顔を赤らめ、なつきは静留を睨む。――尤も、彼女の予想する通りの事を望んで提案したのだが。 静留はそんな視線を物ともせずにこりと微笑むと、なつきの背後に回り彼女の肩に手を添えると、横からなつきの顔を覗き込んで囁くように言った。 「なんで? うちへのお礼なんですやろ? それやったら、うちのしたいようにさせてくれなあかんやろ?」 「だあ! 耳元で言うな! ばか!」 くすくす笑いながら静留は身体を離す。なつきは右手で耳を押さえながら椅子ごと静留を避けるように仰け反った。 「ほんま、なつきは可愛らしいわぁ。思い出しますなあ。初めてなつきの下着見繕うた時のあんたも、えらい初(うぶ)な反応しはって――」 「う、うるさい! あ、あああの時はそういうのに慣れてなくてだな……! お、お前があんな事するからら……!」 「あんな事て、バストのサイズ測っただけどすえ。それをなつきが、あないな声出し――」 「う、ううううるさい! とにかくそういう買い物はダメだ! 他のにしろ!」 「ううん、いけずぅ」 「ったく、お前は……!」 なつきは静留を横目で一睨みすると、疲れ果てたようにずるずると数センチばかり椅子からずり落ちた。 「これだからお前に付き合っていると疲れるんだ……」 静留はくすくす笑うと、柔らかな仕種で体の向きを変え会長席の机に寄り掛かる。 「ほんなら、うちの事、嫌いにならはった?」 なつきが億劫そうに顔を上げるのを見計らって笑顔を向ける。なつきの口から溜息が出た。 「何を今更……。ほら、わたしの気が変わらんうちに行き先を考えろ」 ――馬鹿。言葉の綾だ。 すねたような呟きが聞こえ、静留はなつきには見えぬように自嘲気味に口元を綻ばせた。 うちもあほや。 嫌いじゃないとたった一言聞きたいが為に、こんな問い掛けをせずにはいられない。不安な訳ではない。応えを聞いて安心したいのでもない。本当に求める応えは返っては来ない、ただ自分を騙したいのだと分かる。嫌いじゃない、イコール好き、でない事ぐらい承知している。それでも、馬鹿みたいにこんな質問をしてしまう。 「そうやねえ……」 静留は、なつきの質問に応える為に「考える人」よろしく顎に手を当て、しばし思考を巡らせた。 「まあ、直ぐでなくてもいいぞ。いつでも――」 「海」 「?」 「――海がええわ」 なつきを見ると、またなんでそんな? と眉を顰めてこちらを見上げている。 「もう、シーズンは終わったぞ。こんな時期に海になんて行ったら、風邪を――……!」 そう言いかけた所で、なつきの唇が引きつった。 「あら、あんたが風邪ひきはったら、またうちが看病しますさかい。――な?」 「う、うるさい! 今度またアレを持ち出したら、お前とは一切口をきかんからな!」 先日の不名誉な記憶に顔を赤らめたなつきが、思いきり顔を背けて吐き捨てる。 「いや~、そら困りましたなぁ。うち、なつきと話せんようになったら寂しゅうて死んでしまいますわぁ。それにアレのお陰で熱も下がったんやし、そないに――」 「だあ! 言うな!」 なつきは力の限り叫ぶと、へなへなと机へと突っ伏した。そして話の鉾先を少しでも躱そうと、悪態を吐(つ)く。 「ったく、それにお前がその程度で死ぬたまか」 「どうかしら?」 静留はくすくすと笑いをもらす仕種をし、さも戯れ言であるようにさらりと言う。 ――どうやろね。なつきに口もきいてもらえんようになったら、うち……? 「まったく……」 なつきは溜息をついて、そして話の軌道修正を視線で強要する。それを受け、静留はやはり同じ事を繰り返した。 「やっぱり海がええわ」 「おい――」 「泳ぐんやないんよ。ただあんたと海に行きたい思うてね」 「……まあ、それならいいが……。だが海なら生徒会で行ってたじゃないか。ぞろぞろと下級生を引き連れてな」 呆れたようになつきが鼻を鳴らす。 「あらあ、妬いてはるん?」 「おい、なんでわたしが妬くんだ。……まったく」 素っ気無い返事。 静留はそれを微笑みで受け止めて、そして胸の奥に蓄積する。 どこか不満そうなのは、焼きもちと思うてええの? でも――淡い期待はきっとただの勘違いでしかないのだから。――それは、分かっているのに、気持ちが理性に追い付かない。そうであって欲しいと期待をせずにはいられない。 ただの先輩と後輩、友人、親友と、距離が近付いた分、過度な期待が心を締め付ける。 「ほんなら、いつ行きます?」 「ああ……。週末はどうだ? 空いてるのか?」 「ええ、大丈夫どす」 「じゃあ、今度の日曜にするか。どうせこの時期だ、週末だからと言って海も混んでないだろう」 そう言うとなつきは立ち上がり、早々にドアへと足を向ける。 もう少し引き止めていたい、と思うがなつきの重荷にはなりたくはない。なつきに気付かれないように小さな溜息をつくと静留は笑顔を作り直した。 なつきがドアを開ける。 「おい――」 顔を上げ、なつきを見る。 「お前はまだ帰らないのか?」 「え?」 「あ……いや、……なんでもない。じゃあな」 「なつき」 静留は慌ててなつきの締めかけたドアへと近付く。 「うちもそろそろ帰ろうと思てたさかい」 「……そうか」 「あの、なつき……」 名を呼ぶと、振り向いて、なんだと目で問われる。 静留は、少しだけ緊張して冷たく冷えた指先を握り締めると、自然な口調を心掛け口を開いた。 「今日、あんたんちに夕飯作りに行ってもええ? なつき、放っておくとろくなもの食べへんから」 「ひ、人が何を食べようと勝手だろ! ったく……」 ――好きにしろ! 向けられた背から怒ったような声が聞こえる。 「なら、買い物、付き合ってくれはる?」 「な……」 「せやかてなつきんちの冷蔵庫、何も入ってへんのやもん」 そう言うと、愈々観念したという声音でなつきが言った。 「ああ、もう分かった! その代わりバイクだからな! スカートがまくれても知らんぞ!」 そら困りましたなあ。 静留はのんびりと言うと、なつきの背に追い付いた。 fin. |
あとがき |
★静留→なつきでした。 ★ヤマもオチもイミもなくてごめんなさい(いつもの事か) ★静なつってどうも長編でかかないとまとまらないっちゅーか、ショートだとどうともしがたいというか(笑)でも自分には長編を書ききる技量がないのでいかんともしがたいのですが(笑) ★実は実際海のシーンまで書ききるつもりでしたが、どうにもまとまりそうにもないのでこの辺で(おい) ★後、このSS自体も随分前に9割程書ききっていたのですが、なんだか校正しててうだうだしててUPするのが遅くなりました。 |