excuse

★その後…★

 ……思い出しただけでも心臓が止まりそうだ。
「シズルお姉様……」
 そう、あの人の名を呟いただけで、とても胸が苦しくなる。
 ナツキは自分のベッドに横たわりながら、そっと真新しいGEMに触れた。
 ――少し、熱い。
 脈打っているのが分かる。
 このGEMにお姉様が……。

「なーに、一人でニヤニヤしてんのよ、あんた」
「ま、舞衣!」
 ナツキは飛び起き、思わず壁に背を擦り付けるように飛び退き、ルームメイトを見上げた。
「も、戻っていたのか……。部屋に入る時に声くらい掛けろ」
「何言ってるのよ、掛けたのにナツキが気付かなかったんじゃないの」
 そう言うと舞衣は、持っていたトレイをナツキの机の上に置く。何のトレイかと思ってそちらに視線をやると、舞衣が付け加えた。
「それ、今日の夕飯ね。今、食べる?」
 見ると、成程、食事時に使用している仕切りのついたトレイに、ソースの掛かったパテやらパンやらが乗せられていた。
 GEMの一件で予定がずれ込んだお陰で夕飯は抜く羽目になるかと思っていたので、ナツキはちょっと面食らって、思わず舞衣を見つめた。
「……何?」
「いや………」
 こんな風に他人に気づかって貰ったりするのは慣れていなくて、どうしていいか分からなくなってしまう。遠慮した方がいいのか、厚意に甘えてしまってもいいのか?
「まだ寝てる?」
「いや……もう大丈夫だ。その………、ありが、とう」
 ナツキがそう言うと舞衣は安心したように息をついて、どういたしまして、と微笑んだ。ナツキもその笑顔に安堵して、はにかんだ笑顔を見せた。
「所で何ニヤニヤしてたのよ、あんた。すごーく嬉しそうだったけど?」
「べ、別にニヤニヤなどしてないぞ!」
 ナツキは舞衣をにらみつけると、床に足を下ろしてベッドの縁に座り直す。舞衣は彼女が直ぐに夕食を摂らない事を察すると、ナツキ用のライティングデスクの椅子を引っ張って来て、ナツキと向かい合うように座った。
「で、何があったのよ、シズルさんと」
「むッ……」
 瞬時に顔を赤くしてむくれるナツキは、素直というか単純というか。それを言うと更にむくれるので黙っておく。
「GEM、付けて貰ったんでしょ、シズルさんに」
「なんで……お前がそれを知っているんだ?」
「そんな事だろうと思ったのよ。一人で付けられるもんじゃないし、あんたがそんなに嬉しそうにしてるんだから、シズルさんに付けて貰ったんじゃないかと思っただけ」
 舞衣がそう言うと、ナツキはバツが悪そうに額に手を遣り目を逸らす。
「まったく、こういう事だけは勘がいいんだからな」
「ナツキが単純なんでしょ」
「何を!」
「――で、何があったのか聞いてあげるから」
「別に聞いてなど貰わなくても……」
「あ、そう。じゃ皆に本当はナツキがGEMが恐くって倒れたってバラしちゃおうかなぁ?」
「な! 貴様………!」
「ほら、話す!」
「く……」
 ナツキは観念して溜め息をつくと、その時の様子を話し始めた。――赤い顔で。

「ほな、付けますえ」
「はい」

 場所はシズルお姉様の部屋。他に誰か来ると落ち着かないだろうからと、シズルお姉様が配慮して下さったのだが、ナツキは余計に緊張してしまい、落ち着かないどころの話ではなかった。
 調度品はコーラルの部屋と殆ど変わらないが、全てがきちんと整頓されていて、乱れたものなど何一つなかった。埃一つなく、とても清潔な感じがした。
 どこからか柔らかな香りが漂って来る。アロマオイルか芳香剤だろうか? なんだか息をするのも勿体無く感じてしまう。
「ほら、そないに緊張せんと。痛ないよう付けたげますさかい」
「いえ……! いや……、お、お願いします」
「最初は誰でも嫌なもんや。ナノマシンゆう、よう分からんもん身体ん中入れるんやし、仕方ないんよ。ハルカさん、いはるやろ。あの人も去年、付けた時涙目になってましてな……。ほら、終わりましたえ」
「あ……」
 シズルの言葉に神経を集中していたら、そんなに痛みは感じなかった。あっという間だった。
「ありがとうございます」
「変な感じとか……、痛ない?」
「はい、大丈夫です」
「そうどすか? ちょお、確認さしてな」
 そう言うとシズルはナツキの髪を一房すくうとそれを背中へと流し、ナツキに近づいた。ドキリと心臓が鳴る。
 ――近い。
 シズルお姉様が、近い。
「ん、位置も大丈夫みたいやね」
「あ……ありがとうございます。何から何まで、お世話になってしまって」
 ナツキは一人掛けのソファで縮こまり、深々と頭を下げた。
 シズルはそれに向かい合う位置に椅子を置いていて、そこに改めて座り直すと、ええんよ、と微笑んだ。
「あまり気にせんと。うちかて可愛ええ後輩の為やから、苦でもなんでもないおすえ。それにナツキさんともこうやって話が出来て良かった思てるんよ」
 思わぬ身に余る事を言われ、ナツキの頬が赤く染まる。
「あの……?」
「ほな、お茶でも飲みますか? 紅茶でええ?」
「あ、はい」
 ――話が出来て良かったとはどういう意味なのだろう? そんな疑問が過るが、質問も出来ないままお姉様のペースに引き込まれてしまう。
 ……しまった。お姉様にお茶を入れて頂くなど、立場が逆ではないか。
「シズルお姉様、お茶なら私が……」
 ナツキが立ち上がろうとすると、シズルが人さし指を立て、あろう事かその指でナツキの唇を塞いでしまった。
「ええんよ。今日はナツキさんと話し出来た記念に、うちが御馳走しますさかい。給湯室行って来ますさかい、ちょお待ってはってな」
 そう言うとシズルは立ち上がり、出て行ってしまった。
 ナツキは人さし指で触れられた体勢のまま固まってしまい、ほっと息をついた途端、ソファに頽れた。
「嘘だ……。シズルお姉様とこんな……。夢だ、これは、夢だ!」
 そう呟いて頬をつねると、当たり前の事だが、痛い。
「夢じゃ……ない」
 本当はオトメになるのなんて嫌だった。家柄だなんだとそんな事ばかり気にする親戚連中に無理やり勧められて願書を出され、半ばやけくそで試験を受けたらあっさり受かってしまって。
 ――やけくそだろうと何だろうと、落ちるなんて真似出来なかった。いっそのことトップで合格して、いざとなったら入学なんてすっぽかしてやろうと思ってたのに。
 試験の時に模範舞闘した、コーラルのお姉様。
 それが、シズルお姉様だった。
 オトメの舞闘なんて映像で見慣れていたのに、あの時はまるで芸術作品でも見ているかのように引き込まれた。華麗で優雅で、そして、強かった。
 これがオトメなのだと、悟った。
 それからオトメについて色々と勉強した。シズルお姉様の事も乙-HiME GRAPHや様々な物で調べた。出身国や特技や趣味、果てはスリーサイズまで知ることが出来た。
 その憧れのシズルお姉様とこうしてお話しさせて頂けているなんて……。
「夢だ……」
 でも、夢じゃない。
 目の前にいて、優しくして頂いて。
 そう、お姉様はとても優しかった。――想像してた以上に。
 最初は舞闘する姿や、艶麗な容姿などに憧れていたが、直にお会いしてお話をさせて頂いたら、その人間性もとても素晴らしくて、さらに慕う気持ちが強くなったように思う。
 それに優しいだけじゃなくて、時折はっとするような事もおっしゃって。

 ――あんたが心配する程、うちも、他のお姉様方も心、狭ないおすえ。

「わたしに気を使わせまいとあんな風に……」

 ――わたしは、シズルお姉様が……
 そうだ。わたしは――……

「あら? どないしたん。何か良いことでもありましたん? 楽しそうな顔しはって」
 シズルお姉様がポットを持って戸口から顔を覗かせた。
「あ……。いえ」
「ほな、ナツキさんの為に美味しいお茶、淹れましょな」

「そう言って、紅茶を淹れて下さったんだ、わたしの……為に」
「へー、良かったじゃない」
「それにな……」
「え?」
 既に立ち上がりかけていた舞衣が、まだ何かあるのかとナツキを見下ろした。
「……いや、何でもない」
「……そう?」
 舞衣はそれ以上は詮索しなかった。
 そのまま立ち上がると、じゃあ、あたしたちもお茶にしよっか、などと行って給湯室へ向った。
 ありがたいと思った。
 あれは、シズルお姉様とわたしだけの秘密にしておきたかったから。

 あの後、シズルお姉様は別れ際に、わたしを呼び止めると――
「GEMが早うあんたになじむように、おまじないどす」
 そう言って、私の耳に、キスをして下さった事は――

「二人だけの、秘密、どっさかいに」

 秘密、だから。



fin.





あとがき

★「傷が早く治るおまじないどす」とか言ってキスするのはシズルさんの手口ですから。巧妙な手口に騙されないように、ナツキさん。

★いや~ナツキさん、むちゃくちゃシズルさんに惚れてます!(笑) いや~夢見がちっていいね!(笑)
★そんでこの後お部屋係になって、本性を知って幻滅して、更に好きになると!
★うおー吉野さん、最高です! 幻滅して、更に好きになるってのが!!! もう、つまり嫌な部分含めて好きって事じゃん。大好きって事じゃん、シズルさんを!

★一応、幻滅して好きになる過程の話も考えてるんですが、どうだろう。書く暇があるのか? 舞-HiMEの長編も書きたいしな。……んー、ぼちぼちと。


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Saku Takano ::: Since September 2003