体育祭


「ええね、なつきは、足、速うて」
「別に——」
 それがどうしたと言わんばかりに、なつきは素っ気無く返答を返すと、仕出し弁当の卵焼きを口に放る。咀嚼してまんざらでもない表情を見せるそんななつきを見て、静留はほっとして柔らかな笑みを浮かべた。
「今日、一着ばかりやないの」
 そう言って、手を添えて煮豆を一粒口に運び、静留もまた上品な味付けを味わう。やはりここの料亭に頼んで正解だった。
「そうだったか?」
「そうどす。特にパン食い競走ん時のなつきは——」
「ぶっ!」
 興味がないといったポーズを崩さぬなつきに午前中での彼女の一走を例に挙げると、なつきは口の中の米粒を吐き出しそうになり——否、明らかに白い粒が舞っていた——顔を赤くさせ、箸を持ったままの右腕で口元を隠した。
「み、見てたのか、お前!」
「ええ、見てましたえ。あん時のなつき、ほんま一所懸命にクリームパン取ってはって、かいらしかったわあ」
 両手を後ろ手に組み、紐からぶら下がったあんパンやらクリームパンやらを口で取る様は微笑ましく、その時のなつきを思い返して、くっくっと笑った。
「べ、別に一所懸命になんかなってない! 単なる競技だ!」
「ふふ」
「笑うな!」
 なつきは憮然とした表情で、長テーブルについた米粒を掻き集める。すまん、と言いながら顔を赤らめるなつきに、まあまあ、落ち着きよし、と弁当を広げる前に淹れた玉露をすすめた。
 照れ隠しの咳払いをしてお茶をすするなつきを見て、静留はもう一度笑った。

 今日は体育祭——。近頃は体育の日のある10月ではなく、4月や5月に催す学校も増えてきているが、この風華学園も例外ではなかった。確かに秋頃よりは幾分季候もいい。
 二人は生徒会で取った仕出し弁当を窓際に寄せた長テーブルに広げ、春の穏やかな陽気と共に昼食としばしの休息を味わっていた。
「ったくなんでこの学園はパン食い競走なんてものがあるんだ! ふざけてるにも程があるぞ」
「ええやないの。一着やったんやし」
 ふん、と不貞腐れて見せる様がなつきらしい。
 パン食い競走だろうと徒競走だろうと、なつきは出るとなったら、 負けず嫌いなものだから全力で頑張る。それこそパン食い競走のようなお遊びのような競技でさえ。�
「それにしても、そないに嫌やったんなら、なんでパン食い競走なんかに出はったん?」
「知らん。今日来てみたら、名簿に載ってたんだ」
 人参の煮物を避け、里芋を口にしながらそう答えるなつきに、静留は呆れて尋ねる。
「知らんて、あんた……。出場種目決めるホームルーム、さぼってたんやない?」
「そうだ。お陰で今日は散々だ」
 恐らく本人がいないのをこれ幸いと、出来る限りの種目をなつきに押し付け——参加させ——たのだろう。でもそのお陰でなつきのクラスは大助かりだったに違いない。何せなつきが出場した種目は全て一位をもぎ取っているのだ。
「ったく、それもこれもお前の所為だぞ! お前がたまには学校行事に参加しろなどと言うから——」
「まあまあ、ええやないの。なつきかて身体動かすんは嫌いやないですやろ。それにクラスの皆も喜んだはるみたいやし……」
「まあ、な」
 やはり満更ではないのか、苦笑を浮かべるなつき。
 静留は先程、なつきがクラスメートに話しかけられ苦笑交じりに答えていたのを思い返す。恐らく足の速さでも誉められたのだろうか。
 なつきはこの所、周囲に対して少しずつではあるが角が取れて来たようだった。クールビューティーなどと囁かれていたのが少し遠く感じる。
 ——鴇羽……舞衣さんのお陰やろか。
 穏やかな笑顔を浮かべるなつきを見て、すっと視線を弁当へと落とす。
「なつき、こっちの卵焼きも食べます?」
「え?」
「さっき、美味しそうに食べてはったから」
「……いいのか?」
「ええよ。その代わり、嫌いなものも食べなあかんえ」
 そう釘を刺すと、なつきは静留の弁当へ伸ばした手を止め、ぐ、と唸った。そして素知らぬ顔をして卵焼きを取り上げる。
「まあな」
 何がまあな、なのかは分からないが、一応は食べる努力はしてくれるだろう。なつきの弁当の人参が少しでも減ったなら御の字だ。
 そう思っていると、なつきが箸の先の卵焼きを見つめ、ぽそりと呟いた。
「それにしても、良かったのか?」
「ええよ。なつきが美味しそうに食べてくれるんやったら、うちも嬉しいし」
「いや……違う。そういう事じゃなくて」
「え?」
「そうじゃなくて神崎たちの事だ。わたしに付き合って生徒会室に残らなくても良かったんだぞ」
 ——ああ。
「そういう事やったん? 別に構しませんえ。そら生徒会の皆さんで、外でお弁当食べんのもええですけど、あんたと二人でのんびり日なたぼっこするんもええ思いますしな」
「でも、わたしが残ると言わなければ、お前もあいつらと中庭に行っただろう? 悪かったな、気を使わせて」
 言いながら、自分の言葉に不貞腐れているのか、つんつんと人参を箸の先でつつくなつき。卵焼きは後に取って置くつもりかこっそり脇に寄せている。
「何言うてはるん、気なんて使うとりませんえ。それに……」
 静留は少し首を傾げるようにして、正面のなつきの顔を覗き込んだ。
「うちはこうしてなつきのかいらし顔眺めてお弁当食べとった方が、何倍も美味しく感じられますしなぁ」
 いつもの口調で少し悪戯っぽく言うと、見る間になつきの眉間に皺が寄り始める。
「ば……馬鹿! 人が真面目に言っているのに、お前という奴は——」
「ふふ、堪忍な」
 静留はころころと笑い、赤い顔のなつきに微笑みかけた。すると、やはり呆れたような溜め息がなつきの口から吐きだされる。——が、お前といると疲れる、そう呟いたかと思うと、丸ごと人参を口に含んだのだった。慌てて玉露で流し込んだとしても、それには目をつぶってあげなくてはなるまい。
 満足げに卵焼きを口にしたなつきは、本当に可愛らしかったから。……そんな事言うたら、今度こそ怒られそうやけど。


「所で、お前、午後は何の種目に出るんだ?」
「うちどすか?」
 食後のお茶を楽しみつつ、弁当に添えられていた落雁を口元に運ぶ。
「午後は有志の部活対抗リレーに生徒会で出るだけどす。うちらは基本的に裏方さんやからね」
「そうか……」
「何でですのん?」
 静留が首を傾げると、なつきは何か考えているようで、手元を疎かにしながら呟いた。
「個人競技はないのか……」
「なつき……?」
「あ、いや、お前が一着がいいとか言うから、午後は何の競技に出るのかと思ってな。……でも残りは個人競技はないのか」
 む、と唸りながら、どこか無念そうに眉を顰めて唇を尖らせる。——普段幼く見られるのを厭っている割りには、こういう仕種がなお幼く見せている事になつきは気付かない。
 それにしても、先程何となく漏らしただけの言葉を気に掛けてくれたとは……。
 確かに静留は午前の部にて、障害物競走に出たが結果は二位だった。それなりに頑張ったが、さりとてどうしても一着になりたかった訳でもないし、見事にその程度の意気込みが反映された結果だ。
 それに先程なつきに言った言葉に他意はない。なんとなく思ったから、なんとなく口にしただけだ。決して一着が羨ましかった訳ではない。
 だがなつきはしっかりと誤解してしまったようで、思案顔で何事か考え込んでいる。
「ええんよ。うちはそないに足速うないし、リレーかて珠洲城さんに迷惑かけてしまいそうなくらいやから……」
「いや……。じゃあ、こうしよう。お前のハチマキを寄越せ」
「え?」
「ほら」
「ハチマキて……。そないな物、どうするん?」
 突然の言葉に首を捻らずにはいられない。
「いいから寄越せ。ほら!」
 そう言うとなつきは掌をこちらに差し出した。
 仕方なしに静留は言われた通りに、自分の額に巻いていたハチマキを解き、なつきに差し出した。
「ハチマキ……どうするん?」
「どうもこうも、ハチマキは頭に巻くもんだろ」
 なつきはそう言いながら自らもハチマキを解き、それを静留に向かって差し出した。
「どうせ、お前とは組が変わらん」
 確かに組分けは、学年は違えど同じ白組ではあったが……。
「わたしは午後、百メートル走が残ってるんだ。その……お前のハチマキをつけて走ってやる。それで……一着を取ればいいだろう」
「え……」
 思わず聞き返すと、なつきの頬が染まった。
「な、なんだ、嫌なのか? 嫌ならいいんだ。わたしは——!」
 そう言うとなつきは赤い頬を隠すように、ぷいっと顔を背けてしまう。
「なつき……うちの、為に?」
「お、お前の為に以外に、何の為があるんだ! い、嫌なら返せ!」
 立ち上がってテーブル越しに腕を伸ばし、静留の手の中のハチマキを奪い返そうとするなつき。
 静留は思わず身を引くようにして抵抗してしまう。
「い、嫌やないどす! 嫌や……ない」
 それどころか嬉しくて、舞い上がってしまいそうだ。顔どころか全身が熱くなっていく。手の中のなつきのハチマキをきつく握り締め、その感触すら愛おしく感じた。白い、何の変哲もないただのハチマキやのに……。
 でも、ほんのりと、彼女の温もりが残っているような気がして、彼女の一部に触れているような気がして。
「なつき……おおきに。ほんま……おおきに……」
 こんな事ぐらいで、少し声が震えそうになる。
 赤い顔を見られては、と俯いていると、なつきの安堵したような溜め息が聞こえた。
「そのくらいで……大袈裟だな、お前は」
「なつきが、えらい優しい事言わはるさかい……」
「別に……、何でもないだろ、このくらい」
 静留は、ようやく顔を上げて、微笑んだ。
「ほんま、おおきに」

 自分で出来るから、と抵抗を見せるなつきの背に回り、途中まで巻かれたハチマキを締め直す。
 その時微かに触れたなつきの手が暖かくて、——嬉しくて胸が切なくなった。
「はい、これでええよ」
「ん。悪いな」
 前を向いたなつきからは見えない。
 静留はそっと——
 窓から入り込む風の所為にして、なつきの髪にキスをした。

◆  ◆

「百メートル走に出場する選手は——」
 集合の掛けられたグラウンドの端に、彼女の姿を見つけた。
 生徒会のテントの下からでは、少し遠い。それでも彼女の姿を見ているだけで幸せだった。前髪をいじる振りをして、そっとハチマキに触れる。
 白い、ハチマキ。
 彼女の額にも、同じ白いハチマキ。
 不意に、彼女が顔を上げた。
 二、三度視線を彷徨わせてから、テントの下のこちらの姿に気づく。
 静留はそっと手を振った。見てますえ。
 すると、直ぐに目を逸らしてしまう彼女。
 少し残念に思っていると、髪を掻き上げた手が更に上がる。
 その指で、とんとん、とハチマキを叩いた。
「番号順に整列して——」
 再び掛けられた号令に、背中が向く。

 やがてスタートラインに立った彼女の表情は、とても自信に満ち溢れていた。

「もう、あの子ぉは……」
 呟いて目尻をそっと拭う。
 ——おおきに。なつき。
「おおきに……」


END





あとがき

★くさっっっ!
★果てしなくくさいですよ、このSS。なんですか、このくささ。もういっその事カズくんとあかねちゃんがやってくれれば、後ろからどついてやるのに……!

★セラムンのまこ亜美ならこの程度のくささ、なんでもないんですけどね、ええ。静なつでやるとえっらい恥ずかしいですよ! ってか可笑しいよ! ギャグかよ!

★……えっと、なんとなく静留さんのスクール水着姿を落書してたら、資料に見てた設定集の水着の隣に、美優のジャージ姿があって、静留さんはやっぱり体操着だけじゃなくて、ジャージも羽織るよね! ってか落書しちゃえ! とか思って書いてたら、なんだか体育祭妄想がむわむわと。
★ぜひとも静留さんは、ジャージ着用で。


Waterfall top
Saku Takano ::: Since September 2003