「どうしたんだ、こんな所で……」
「…………良かった。……無事やったんやね」 「お前こそ、こんな所で何やって……。一体いつからここに……?」 「何度かけてもあんたの携帯つながらんし、まさかあの爆発に巻き込まれてへんかと思うて、気が気じゃなくなってしもて……、心配で様子見に来てしもたわ」 「…………馬鹿! 女一人でこんな所にいたら危ないだろ! ったく!」 ……堪忍。 |
たまゆらの夜/無いものねだり |
――何事にも多くを望まないようにして生きて来た。 否、そうではない。同世代の子供達より随分と恵まれた環境にはあったし、物には不自由しなかった。だから自ずと何も望まなかっただけの事だ。 そう、望むと望まざるとに関わらず、自分は常に物にも人にも囲まれて生きて来た。親や親類から与えられた物を諾々と享受し、それを疑問に思う事もなく、家が古い事もあり、女は男に従うものであり、女が声高に物を論ずるのは恥ずべき事だと教えられた。否、教えられた訳ではなく、藤乃という家を見てそう理解していたのだ。 どちらにせよ、無いものねだりなどした事はなかった。 「なつきはたまゆら祭の日、どないするん?」 さり気なく問う。 「は? たまゆら祭?」 彼女は白いノートパソコンから顔を上げもせずに、淡々と問い返す。然して興味がないのがありありと見て取れた。静留は目を通していた書類の一枚に会長印を捺してそれを脇に寄せ、苦笑した。なつきにパソコンを貸す為に自らは長テーブルを使用している。 「なつきはお祭り行かへんの?」 「……興味ないな」 上の空で呟くと、マウスをクリックする。しばらく無言で画面の文字を追っていたが、ちらりとこちらを見るとお前は、と問い返して来た。 「取り巻きの連中と行くのか、祭に」 しかし直ぐに視線はパソコンへと落とされる。 「……誘われてはおるんやけどね」 カチカチ、とクリック音。 「ふうん……。……おるんやけど、って、行かないのか?」 「まだ返事はしてないんよ。どないしよかと思うて」 「行ったらいいんじゃないのか。静留はそういうの嫌いじゃないだろ?」 「……そやね。どうせ他に相手もおらんし」 カチカチ。 素っ気無い返事が二人きりの生徒会室に響いた。 期待はしていなかったが、いけず、と思った。 ◆ ◆ 名前は書かずに、ただ無地の薄紅藤のリボンを水晶宮の手摺りに結んだ。以前からしばしば自分の私物がなくなる事があり、それらは書きかけのアンケート用紙だったり体育の授業後に使用したハンドタオルだったりと然したるものでもなかったが、こればっかりはなくなって気持ちの良いものではなかったから、慎重を期した。 それに「玖我なつき」と記したリボンを結ぶ所を誰かに見られでもしたら、事だ。部外者達の間で噂を立てられる事自体はどうでも良いが、それが彼女自身の耳に入りでもしたら――そう考えると、まじないごときで無茶は出来ない。 否、まじないごとき、などと思いつつ、今朝まで結ぶかどうか随分悩んでいたのだから、そんな自分に呆れてしまうが。 想い人の名を書いたリボンを水晶宮の手摺りに結ぶと想いが通じる――本当にそうなら、まじないだろうとなんだろうとすがりたくもなる。 静留は長居はせずに、短く手を合わせると、水晶宮を去った。 途中、拳大程の大きさにまでなった酷く頑丈なリボンを見つけ、それに玖我なつきと書かれているのを見て、武田くんらしいわ、と思った。あれを見たらなつきはどう思うだろうか。直ぐに照れて突っぱねる彼女が思い浮かんで、―― 思考を遮断した。 ◆ ◆ 芙蓉の花をあしらった薄く色づいた浴衣。先日帰省した折りに馴染みの店でぜひにと勧められた浴衣だ。付き合いのつもりでそれならば、と購入したが、反物を合わせている際に、店主に御慕いしてる方とこれを来て御出かけになられては、などと上手いこと乗せられた所為もある。しかし実際はそうはならなかったが。 静留は小さな溜め息を溢して、学園の門の前で楽しげに待つ少女たちに遠目からにこりと笑いかけた。 少女たちと過ごす時間はそれなりに楽しかった。戯れにとある一人が差し出した氷に口を付ければ、きゃいきゃいとそれを取りあったり、浴衣の袖を引かれてあちこち店を覗いたりたりして心が華やいだ。でも気付くと黒い艶やかな髪を思い出したりしていて、浴衣などさぞかし似合う事だろう、いつか着せてやりたいなどとうっとりと考えたりしていた。 だが、時計も9時を回った頃。突然大きな地響きが轟いた。 後に真白に確認をして分かった事だが、本土と島を繋ぐ橋が落とされたという事だった。学園から持たされている生徒会専用の携帯電話を持ち歩いていて正解だった。直ぐには真白は出なかったが、半時程してなんとか繋がった。 少女たちの内、寮生は皆まとまって直ぐに寮へ戻るように言いつけ、一人、自宅から通う者へはタクシー代を持たせて帰らせた。 嫌な予感がした。 少女たちを見送った後、自分の携帯の短縮1を押す手が震えた。事故だか事件だか詳細は分からなかったが、万一の事を考えると背筋が寒くなった。 ――繋がらなかった。 電源を切っているだけならいい。電波が届かない場所だというならそれでいい。 でも――。 あの子は常に危険な場所にいる。 あの爆発に巻き込まれていない保証はどこにもない。 リダイヤルを掛ける度に、指が震えた。 なつき、どこにおるん? 返事して。 声を聞かして。 なつきのマンションへと向かうタクシーの中で、携帯を握り締め、彼女の無事を祈り続けた。他には何も望まない。 ただ、 なつきが無事でさえいてくれればそれで良かった。 なんもいらん。 なんもいらんから。 でも今だけは。 神さん、後生やから、 あの子を―― ――何事にも多くを望まずに生きて来た。 不意に水晶宮のリボンが頭を過った。うちの想いなんか通じんでもええ。まじないなんかどうでもええ。せやから一つだけ願いを叶えてくれはるんなら、あの子を無事でいさして下さい。 神さん。 どれだけの間そうしていただろうか。 「……静留?」 なつきのマンションのエントランスで、携帯を握り締め屈み込んだまま動けずにいると、不思議そうな声が掛かった。 「どうしたんだ、こんな所で……」 咄嗟に顔を上げると、きょとんとした表情で、ライダースーツ姿のなつきが立っていた。 「…………良かった。……無事やったんやね」 「お前こそ、こんな所で何やって……。一体いつからここに……?」 余りに長く屈み込んでいた所為でよろよろと立ち上がると、慌ててなつきが手を貸してくれた。 「何度かけてもあんたの携帯つながらんし、まさかあの爆発に巻き込まれてへんかと思うて、気が気じゃなくなってしもて……、心配で様子見に来てしもたわ」 声色を気遣う事も出来ずに、精々余り声が震えないようにするので精一杯で、そう告げた。ただ余り大袈裟にならないように、泣くのだけは勘弁したかった。 見るとライダースーツは砂埃にまみれ、案の定ただ町中をバイクで乗り回してだけではない事が伺えた。それでもなつきの驚く様を見ていると、爆発は関係なかったのだろうと予想出来た。わざわざ心配されるような事は何も無かったのだ。 ――良かった。 「…………馬鹿! 女一人でこんな所にいたら危ないだろ! ったく!」 そう言うと、なつきは静留の腕を掴み、エントランスホールを抜け、エレベーターのボタンを乱暴に押した。それからちらりと腕時計を見遣る。つられて静留も携帯電話のデジタル表示を見ると、日付が翌日を示していた。午前2時。三時間以上もエントランスにいた事になる。 「ああ、くそ。こんな事なら直ぐにお前に電話を掛けるんだった」 静留が顔を上げると苛だった表情のなつきが乱暴に髪を掻き上げた。 「重要な……、その、お前には言えないんだが、用事があってな。ずっと電源を落としたままでいて、ついさっきバイクから下りて電源を入れたばかりだったんだ。だから……お前から電話があったなんて知らなくて……」 すまん。 簡素だが、真摯な、本当に詫びている声だった。 静留は静かに頭を振ると弱々しく微笑んだ。 「重要な事て、なつきがいつも調べてる事と関係あるんやね?」 そう聞くと、真剣な目で頷く。 詳細は語らずとも、いい加減な用事ではないのだと、それを伝えようとしてくれている気持ちが嬉しかった。 以前、同じような事があって心配して駆けつけたら、別に心配されるような事じゃない、とただ突っぱねられて、そんな風に他人を全て突き放す彼女を哀れに思うやら、腹が立つやらで、思わず彼女の前で泣いた事があった。あの頃は他人に心配される事に慣れていなくて、そうされる理由も分からなかったのだろうが、今は自分が心配に思う気持ちを素直に受け入れてくれている。 あの頃は口が酸っぱくなる程無茶をするなと言い続けて、その度に彼女はとても重要な事だから、とその意志を曲げずに、互いに意固地になっていた。それは今も変わらない。 でも今は自分が心配に思う気持ちを理解した上で、ただ無茶をしているのではないと、彼女の意志をこちらへと伝えてくれる。 「……とにかく、一度部屋へ来い。落ち着いたら寮へ送ってやるから」 そう彼女が言うと丁度エレベーターが一階へと着いた。二人して乗り込んで、居住階を押す。 エレベーターが上昇する機動音だけで、それ以外は何もない。押し黙ったまま、静留はグローブの上からなつきの手に触れ、軽く指を絡ませた。手を繋ぐ――という程でもない。ただ、触れるだけだ。 案の定なつきは驚いたようだが、小さく嘆息すると、結局振りほどきもせずにそのままでいさせてくれた。 友達だから。 心配してこのくらいの事はしてもいいだろう。 ……堪忍。 静留は声に出さず呟いた。 ◆ ◆ 「所でどうしてお前はそんな格好をしているんだ?」少々薄目のインスタントコーヒーを差し出しながらなつきが言った。 静留はきょとんとしてなつきを見上げた。 「どうしてって……。今日はたまゆら祭やない」 静留が呆気にとられたままそう告げると、今初めてそれを知ったように、妙に感心しながら、ああ、と唸った。否、本当に失念していて、たった今思い当たったのだろう。 「いややわ、なつきったら。ほんまに気付いてなかったん?」 呆れ果ててそう言うと、なつきは照れたように目を逸らし、自分用にミルクを入れたコーヒーを啜った。 「ちょっと忘れていただけだろうが。……おい、笑うな」 「せ、せやけど、あ、あんまりやわ、なつき……。学園でもよお話題になっとったし、忘れるような事やない思いますけどな」 「わ、わたしはそういうのに興味がないんだ。だから……。っ、笑うな! 笑いすぎだぞ、静留!」 「あ――、おかし」 なつきはそっぽを向くと、盛大に鼻を鳴らす。 静留はどうしても笑いが止まらなくて、しばらく笑い続けた。 その内にふと、なつきがぽつりと聞いてきた。 「お前はいつも自分で着付けてんのか?」 「ええ。そうやけど……?」 なつきはマグカップ越しにこちらを見て、ちらりと視線を上下に移動させる。 「……うまいもんだな」 「……なつき?」 「お前は……いいな。そういうのが似合って」 どこか気まずそうに視線が逃げる。 静留は、思わず息を飲んだ。瞬間に呉服屋の店主の言葉を思い出す。御慕いしてる方とこれを来て御出かけになられては。 一緒に出掛けられはしなかったけれど。 「うちな、思うとったんやけど、なつきも浴衣着たら似合うと思いますえ」 「わたしは似合わない。駄目だ」 「そんな事ない思います! 絶対似合いますって!」 「な、なんだ、ムキになって」 「したら今度浴衣着せたげますよって、なつきに似合いそうなん、見繕うておきますわ」 「い……、いい! そういう意味で言ったんじゃない!」 「ほんまに似合います! うち、本気で探しときますさかい、そん時は着とくれやす」 「わ……分かった。その時は着るから。……ったく。何なんだ……」 なつきは赤い顔をして、不貞腐れたように視線を逸らすと、またこちらをちらりと見た。 「な……なつき?」 「……なんだ」 「似合うとる? 浴衣」 とくとくと心臓が鳴っている。 なつきは、怒ったように眉根を寄せて再び視線を上下に動かすと、不機嫌そうな声で言った。 「ああ」 「……ほんま?」 「しつこいぞ」 なつきはマグカップを二人分手に取ると、キッチンへ向かうのか立ち上がってこちらに背を向けたまま、やはり怒ったように言った。 「似合ってる! もう聞くな!」 「ふふ、堪忍。つい、嬉しうて」 静留はなつきが背中を向けてくれていて助かったと思った。 ――自分の頬も不自然なくらい赤かったから。 END |
あとがき |
★ずっと書きたいと思っていたたまゆら祭話。 ★でもオチがしっくり来るのが思いつかなくて(ってか、書きたいとばっかり思っていて肝心の中身がさっぱりなかったんですけどw)、漸く念願叶いました。 ★いやさ、あれだけ可愛い浴衣姿の静留さんをなつきさんが目にしていないのは勿体無い! なんとかならんのか、おい! と思っていたわけですよ。でもなつきはこの日、正気を失ってしまったあかねちゃんの事で動き回っていた訳ですから、のんびり祭に参加する訳がないわけでして。 ★いや、なんとかオチがつきました(笑) ★それから多分、加筆して長編の方へ組み込むかも。ってか多分組み込みます。 ★本来は長編用に取っとくつもりだったんだけど、今日、舞-HiME見返してたら、どうしても書きたくなって、フライングしちゃいました。てへ。 |