[舞-HiME]
in-the-garden |A5版|P20|¥300|
in-the-garden



「お前の冗談は冗談に聞こえないんだ!」
 ――ったく。
 すっかり呆れ返った声で溜息混じりにそう言えば、ほんまにうち卒業せんでもええし、などとふざけた応えが返って来るものだから、なつきは額を押さえ更に深い溜息を吐き出すしかなかった。
「馬鹿……。ちゃんと卒業してくれ」
「なつきが心配せんでも、ちゃんと卒業しますえ」
「……そうしてくれ」
 眉間に皴を寄せそう念を押すと、反省しているのかいないのかくすりとこぼすような柔らかな微笑が聞こえた。釣られてなつきもくすりと笑みをこぼし、それから、さて――、と足を進めた。
「そろそろ舞衣たちの所へ行くか」
 いよいよ春らしく葉を伸ばし始めた雑草混じりの芝生を踏む。静留の落とした卒業証書を拾い上げ、ぽんとそれを手渡した。
 その時に――、然して重くはない筈の卒業証書の重みに、ああ、卒業するんだなと妙な感慨が沸き上がり、離しかけた手でもう一度証書の筒を握り込んだ。殆ど条件反射のようだ。
 このまま手を離してしまったら――、
 そう思い、浅黄色の制服に身を包んだ彼女をはっと見遣る。すると、おおきにと言いかけた口が一瞬戸惑い、浅く開かれたまま止まった。しかし直ぐに柔らかな微笑を湛えると、どないしたん、と逆に問われた。
 なつきは彼女のいつもと変わらぬその笑みに意識せぬままじんわりと安堵を覚え、ようやく証書を掴んだ手を離した。
「いや……。卒業するんだよな、と思ってな」
 他に気の利いた言葉も思いつかず愚直な言葉で答えて、余りの短絡な物言いに自分でも呆れて苦笑した。そんな事を言われても、静留だって困るだろうに。自分は一体何が言いたかったのか。彼女にどんな答えを望んでいるのか。
 否、なんにせよ、自分の意志とは関係なく、彼女は卒業するんだ。その事実は覆らない。
 そう勝手に自己完結していると、静留のいつになく少し固い声が早春の風に紛れて聞こえた。
「ちょっと、ええやろか。舞衣さんたちとの約束のまで、まだ少し時間あるやろ」

◆  ◆

 風が花びらを舞上げる。
 ――あの時みたいだ。そう思った瞬間――、
「――なんや、あん時みたいどすなぁ」
 自分の想っていた追想に静留の声が重なり、なつきははっとして彼女を振り返った。
 当たり前だが、そこには彼女がいて、そしてその背後にはあの時と変わらぬ庭園の風景。花園の中心に石造りの柱が立ち、色とりどりの花々が咲いている。
 そして舞う桜の花びら。
 今年は例年よりも桜の開花が早く、卒業式に文字通り花を添えてくれた。
「初めてお前と出会った時も、こんな風に桜が舞っていたな」
「ええ……。あれからもう四年も経つんやね」
 静留の言葉に、ああそうか、と妙に納得する。――四年。
「お前が中三で、わたしが中一……か。四年なんて長いようで短いもんだな。もっと長くお前といたような気もするが」
「そうどすか?」
「……なんとなく、な」
 本当になんとなくそう思うだけだから、そう答えた。
 気がついたら色々な事が当たり前になっていた。側に静留がいる事。いつしか自然と生徒会室に足が向くようになり、知合いも増え、静留以外にも親しい友人が出来た。
 今思えばあっと言う間だが、色々な事があった筈だ。詳しく思い出そうとしても所謂走馬灯のようで掴み所のないイメージばかりが先行してしまうが。
 それでも、
 側に静留がいる事。
 静留がいた事。
 これだけは、何よりもはっきりと意識出来る。
 当たり前の四年間の中で、掛け替えのないものをひとつ選べと言われたら……多分、藤乃静留と答えるだろう。――そんな事恥ずかしくて、本人の前では言えやしないが。それに、そんな事を言って変に調子づかれても困るしな。
 なつきは静留に見えない角度で顔を背けると、指で頬を掻いた。そして顔を背けたまま、小さな声で呟いた。
「お前には感謝、……しているんだ。その……、あ、り、がとう…な」
 そう言ってちらりと彼女の様子を窺うと、静留はちょっと驚いた表情を浮かべ、それから見慣れた笑顔を浮かべた。
「改まって、そんな事言わんといて」
「いや……、お前には、本当に……」
 でも、それから言葉が続かなかった。
 静留は今日で卒業してしまう。そう思うとどんな言葉も随分と説得力のない物に変わってしまうようで。ありがとうなんて言葉も、随分と頼りなくて。
 それだけでは言い尽くせないものが、この四年間にはあった。
 人を遠ざけ、善意を拒み、疑心暗鬼の中で過ごしていたそれまでの日々。今思ってみても、それはそれで仕方のなかった日々なのだとも思う。もう少し上手く立ち回れなかったものかと色々と後悔はあるが、それでも負った心の傷は直ぐに癒える物ではなかったし、当時の事を今になって冷静にあれやこれやと分析したって栓のない事なのだ。
 しかし、あの頃の自分ままでは、今の自分はあり得なかった。それだけは確かだ。
 自分を変えてくれたもの。
 変えてくれた人。
 ゆっくりと少しずつ、小さなきっかけでそれと気付かせないようにさりげなく導いてくれた。
 自分には縁遠いものだと思っていた暖かな場所。
 彼女は日溜りにいた。暖かな光の射す場所の中心に。不思議でならなかった。自分のような日陰にいるような人間にどうして関わるのか。気に掛けるに相応しい魅力的な人間なら、陽の射す場所にいくらでもいた筈なのに。
 実際彼女の周りには人が多くいた。明るく楽しげで、陽の当たる場所にいて当然のような人間たちが。
 それなのに。
 誉められる点よりも論われても仕方のない悪癖ばかりある自分に、彼女は手を差し伸べてくれたのだ。いつも。
 ――静留がいたから、変わる事が出来た。そう今なら思える。
 友人たちと穏やかな日溜まりの中で笑い合う自分に変わる事が。
 ほんの少しだけ誇らしい気持ちに浸りながら隣に立つ静留を見ると、春の日差しを受けて立つ彼女がそこにはいて、それはまるで一枚の絵画のようで。……綺麗だと思った。
  あの時 と違うのは、制服だけだ。
「……お前と出会えて、良かった」
 今度は真っ直ぐに彼女を見て告げた。
 あの時、この場所で。
 ――出会えて良かった。
 あの瞬間があったからこそ――
「……あの時お前と出会えたからこそ、わたしは変わる事が出来たんだ。わたしはこの学園に入学して良かったと……思う」
 自分でも驚く程素直に言葉が出てきた。卒業式という妙に感慨深いシチュエーションの所為か? そんな事を頭の隅の方で考えながら、照れ隠しに早口になりながら言葉を紡ぐ。「この学園で、お前や……それから舞衣や命や皆と出会えて――」
 そこまで言いかけた時、少し強い語感で名を呼ばれた。
「なつき」
 はたと目を瞬くと、どうかしたかと問いかけた声すら遮られた。
「ひとつ、ええやろか?」
 しかし何の事か分からず、無言のまま彼女を見つめると、何か言いたい事があるのにそれでもまだ言葉を飲み込んだままでいる彼女が少し俯いた。
「ひとつだけ、我が儘言わしてもろてもええやろか?」
「ワガママ? ……何をだ?」
「今だけでええから」
 そう言ったまま、少し言葉を途切れさせる。
 そして卒業証書を握り直すと、再び顔を上げた。
「今だけでええから、他の誰の事も考えへんで、うちの事だけ想ってくれへんやろか」
「静――」
「……友達としてでええから、親友としてのうちでええから、今、ここでうちの事だけ考えてくれへんやろか。なつき」
 深紅の瞳が揺れる。
「そしたらうち、思い残す事なく、 ここ から卒業出来ますわ」
 ――な?

◆  ◆

「……静留」
 名を呼ぶが返事はない。
「……静留、」
「こんな事頼んでしもて、堪忍な」
「……こんな事ってなんだ」
「…………こんな事ゆうたら、こんな事や」
 そう言って少し腕に力が込められる。
「確かにお前の事だけ想ってくれとは頼まれたが、こうしているのはわたしの意志だ。だから堪忍も何もあるか」
「……やっぱりなつきは、なつきやね」
「どういう意味だ」
「いけずや」
 思わず返答に困って小さな咳払いをする。
「いけずってどうしてだ」
「いきなり、こんな事しはるから」
 やはり返答に困って、今度は咳払いする代わりに、静留を抱く腕に力を込めた。
「仕方ないだろう。……なら他にどうしたら良かったんだ」
「……さあ」
「そらみろ。想うって言ったら、こうするのが一番分かりやすいだろう」
「そやけど。いきなりで、びっくりしましたわ」
「――ちゃんと、お前の事だけ」
 確りと静留に届くように、彼女の耳元に唇を近付けて言う。
「ちゃんとお前の事だけ、想っているから」
 その瞬間に静留の身体が強ばるのが分かった。以前の自分ならその戸惑いが伝染して直ぐに腕を離してしまったろうが、不思議と離す気にはなれなかった。
「わたしは、お前が好きだ、静留」
 胸に静留の震えを感じる。だが、何も言わないで。そのまま抱き締め続ける。
 こうして抱き締めてみると、少しだけ彼女の方が背が高くて、唇が肩口に触れてしまう高さで。
 ……わたしの負けだ。そう思う。
 こいつには敵わない事ばっかりだ。
 身長も成績も人望も――、それに性格だって。……身長や成績はまだ分からんが、性格だけは恐らく一生敵わないだろうな。
 でも、闘いでは負けてないぞ。あの闘いはわたしの勝ちだ。静留のエレメントに捕らえられはしたが、最期はわたしのデュランが――わたしの想いが勝ったんだから。

 この想いの名が何であるのか、
 今はまだ分からなくていい。
 日陰から日向へ少しずつ歩いて来たように、少しずつ分かって行けばいいから。
 ――そうだろう、静留。

◆  ◆

「この花園は……、うちがあんたを好きになった場所なんよ」
 小さく呟かれる、声。
「初めて会うた時に、あんたに恋に落ちましたんえ」
 背中に回した腕と、回された腕。
「……あんたが好きどす」
 頬にかかる亜麻色の髪。
「これでようやっと、うちも思い残す事なく卒業できますわ」
「……ああ」
 微かに。
 自分の名を呼ぶ声がしたような気がした。

 あんたを愛してます――これからも、ずっと。

 だから、小さく応えた。
「ああ」



END





あとがき

★2005年12月30日 初版発行(コピー)/2006年10月15日 修正版発行(オフセット)

★「in the garden」は同人誌で頒布した作品です。このSSの後に続くショートストーリーの漫画がありましたが、割愛しました。


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Saku Takano ::: Since September 2003