愛しき人へうたう歌 〜Ave Maria〜


BGM:美少女戦士セーラームーンSuperS「Christmas For You」より
アヴェ・マリア


 薄いヴェールのかかった視界にひと筋の光が降り注ぎ、ゆっくりと朝が舞い降りて来た。
 薄目を開けると真っ白な枕の波の揺れが目に入り、まだ覚醒していない気怠い頭が小さな疑問符を投げかけた。隣で寝ていた筈の彼女が、……いない。
 淡い色合いの薄緑の遮光カーテンの合わせ目の隙間から、レースのカーテン越しの朝日が裾を下ろし、主人のいない枕と微妙に整えられた掛け布団を照らし出す。
「……まこちゃん……?」
 布団にくるまったまま問いかけてみるが、応じたのは目覚まし時計の規則正しい足並みで、その歩調は乱れる事なくカッチコッチカッチコッチとぶっきらぼうにただ行進していくだけ。優しい彼女の声は答えない。
 亜美はゆっくりと身体を起こし、冷たくなったベッドの左半分に手を差し入れ、彼女の温もりの抜け出た時間を推し量る。小一時間は既に経っているようだった。
 目を擦り、伸びをして、再び時計に視線を落とし、なるほど、と納得する。
「もう10時近いのね……」
 いつも早起きの彼女の事だから、こんな時間まで寝てはいないのも当然だ。いつものパターンを考えるとキッチンで朝食の準備をしているか、静かに準備をしてジョギングにでも出掛けてしまったか……。
「もう、起こしてくれればいいのに……あふ」
 欠伸をしながらまことの寝ていた枕に手を伸ばし、ぽん、と軽く叩いてみる。
 きっと彼女の事だから起こすのが可哀想だからと気を使ったのだろう。
「ん……」
 もう一度、今度は少しきつめに伸びをして、身体を徐々に覚醒させてやる。
 ――ふう……息を吐いて、まだのんびりしたがっている両足をベッドの脇に下ろし、水色のスリッパに足先を差し入れゆっくりと立ち上がると、欠伸がひとつ。まだ眠いと身体が言っている。
 と、その時ドアの向こうのキッチンの辺りから戸棚を閉める音がした。
 良かった。まこちゃん家にいるみたい……。
 もし外出してしまっていたら、少しだけ――ほんの少しだけ、いやだな、と思っていたのだ。
 だって、まこちゃんが側にいなかったら、寂しいから……。

◆  ◆

  みもとにやすらけく
  いこわしめたまえ
  悩めるこの心
  君にねぎまつる……

「――あ、亜美ちゃん、お早う」
 って、もうお早うって時間じゃないけどね、といじわるそうに付け足し、まことは首だけを振り向けてようやく目覚めた眠り姫に微笑みを投げかけた。
「そのまま、歌って?」
「え? ――ああ、今の歌?」
「ええ……。続けて?」
 亜美はまことの背中に身体を寄せ、腕を彼女の前に回して軽く組む。
 その行為にまことはちょっとびっくりして、自然と顔が緩んでしまうのを感じて、慌てて亜美の視界に入らないように顔を前に戻して、手元のレタスに視線を落とした。
「あ、ええっと、あたし何歌ってたっけ?」
「んと……――シューベルトの“アヴェ・マリア”」
「……ああ」
 ふと思い返したように鼻に掛かった声を上げる。――さては亜美ちゃん寝ぼけてるな。
 “アヴェ・マリア”と答えるまでの間が、それを物語っている。普段の彼女なら即答しているところだ。彼女にしては大胆な行為にも納得が行く。
 なんだ、ちぇ。
「……期待して損しちゃったよ」
「なあに?」
「な・ん・で・も・な・い・よ。朝食、ガレットにしてみたんだけど。ホラ、そば粉のクレープの……」
「ええ……。ガレット……まこちゃんって何でも作れるのね」
「や、今回は実は初挑戦でうまく作れるか自信ないんだよね。もし失敗しちゃったらごめん」
「大丈夫よ、まこちゃんなら……。お料理の天才だもの……」
 ――ほら、この『間』が寝ぼけてる証拠だよね。
「あはは。天才に天才の御墨付き貰っちゃったよ。ま、あたしも失敗するつもりもないんだけどね」
「ふふふ」
 亜美の弾んだ吐息が背にかかる。それがなんだか心地よくて嬉しくて、彼女が目覚めて手を離してしまうのが惜しかった。
「――あ、そういえば昔、近所の聖歌隊(クワイア)でゴスペルとか歌ったなあ……」
「え? そうなの?」
 驚いて顔を上げた亜美がまことの横顔を見上げる。
 ――しまった。ヤブヘビになっちゃったよ、もう。
 少し離れてしまった身体の距離を計って、その分溜息で間を埋める。
「うん、近所にさ、教会があって、そこでクワイアのメンバーを募っててさ。別にクリスチャンじゃなくても誰でも入れてさ。ちっちゃかった時はよくお母さんと通ったなあ。色々歌ったんだよ。懐かしいなあ……」
「まこちゃん、歌上手だものね」
「そうかい? へへ、ありがとう」
 思わず濡れたままの手で頬を掻く。その拍子にまことの身体の前に回した亜美の手にも冷たい雫が掛かったようで、亜美の身体が微かに震えた。寝ぼけた身体の気付けになったか、するりと腕が逃げ出してしまう。
 ありゃ。
 思わず口がへの字に曲がる。
「……まこちゃん……?」
 その表情に気付いた亜美が上目遣いにまことの様子を伺うが、眉の八の字の疑問符の浮かんだ彼女の表情から察するに、彼女の腕が離れてしまったのを惜しがっているのだとは全く気付いていないようだ。
 なんだかな、と溜息がこぼれる。――寝ぼけてる亜美ちゃんっておっとりしてて甘えてきたりして可愛いんだけど、目が覚めちゃったらもうこんな事してくれないよなあ……。もう、目、覚めちゃったよね。
 見下ろして、無垢な青い瞳を見詰めて苦笑する。
「ん、……なんでもないよ」
「ね、まこちゃん」
「ん――?」
 パッとレタスを振って雫を飛ばし、キッチンタオルを手に取りつつ応える。
「何だい?」
「……初めて聞いたわ、まこちゃんがクワイアにいたなんて。……いつも一緒にいるのにまだまだ知らない事もあるのね。それが何だか嬉しくて……」
「ああ、そういえば言ってなかったよね。なんか言う機会もなかったしさ。……小さい頃は歌うたうのが楽しくてさ。新しい歌を覚える度に家族の前で歌ったりしてさ」
「ふふ……」
 亜美は以前見せて貰ったアルバムの中の小さなまことを思い出し、家族の前で得意になって歌うまことの姿を想像して微笑みをこぼす。
「あ、そういえば、あたしが歌ってる声が入ってるビデオテープとか昔あったなあ。もう引っ越しでどっかに行っちゃったろうけど」
「そうなの?」
 残念、としょげる亜美。
「あはは、もしあったとしても見せないけどね」
「どうして?」
「だって恥ずかしいじゃないか」
「見たい!」
「だーめ」
「あ、本当はあるんでしょう、テープ」
「ないよ、ホントに。ホント……あれば良かったけどさ……」
 わずかに声音の下がったまことの声を聞いて、亜美は思わず言葉を詰まらせた。……まことが、思い出を――家族の事を思い出しているのが分かったから。
「…………」
「……クリスマスの時のだったんだけどね。多分あたしが4〜5歳の頃だと思うんだけど、あたしとお母さんが合唱しててさ、お父さんがそれを聞いてるんだ。なんか、楽しそうでさ。
 ……どこ行っちゃったか分かんないけどね、テープ」
 へへ、と笑うまこと。
 亜美の視線は遠慮がちに彷徨い、やがてまことの萌黄色の瞳へと帰り着く。
「まこちゃん……」
 彼女の瞳が優しく細められ、いつものまことらしい笑みが浮かぶ。
「……やっぱり亜美ちゃんに聞かせてあげられれば良かったよ。亜美ちゃんに……聞いて貰いたかった」
 そう言う彼女の声が優しい分、
 彼女の笑顔が優しい分、
 彼女の眼差しが真直ぐな分、亜美は何も言う事が出来なくなってしまう。
「……家族と同じくらい、大事な人だからさ」
 ただもうそう言うまことの声には寂しさは感じられなかった。家族への気持ちをさらけ出しても大丈夫だから――
「大事な……亜美ちゃんには、さ」

 ハッとした瞬間。

 亜美の腕がまことに回されていた。
 ぎゅ、と音がしそうな程確りと。
「亜美……ちゃん」
「…………」
 肩越しに振り向くと、さらさらとした、でもちょっと寝癖のついたままの亜美の髪が揺れるのが目に映った。――息を飲んだまま、時間が止まる。彼女らしからぬちょっとした大胆さに思わず、寝ぼけてる訳じゃないよね、と亜美を疑ってしまう。
 そしてぴったりと身体に沿って回された彼女の腕の柔らかさを、ようやく意識する。左脇腹の辺りにもっと柔らかな膨らみがあり、自分の肩の付け根の辺りに彼女が顔を埋めて、ただじっと、力強く自分を抱いてくれている。
 徐々に――彼女の温もりが伝わって来て、胸に彼女の温もりが伝染し暖かいものが込み上げてくる。
 亜美が自分を大事にしてくれているという想いが伝わって来て、そして――
 亜美を大事にしたいという想いが胸を満たし、胸がいっぱいに締め付けられる。
 まことは亜美の腕に手を重ねようとして自分の手が濡れている事に気付いて躊躇いを感じたが、思い直してそのままゆっくりと亜美の白い腕に手を添えた。すると彼女が腕をずらしてまことの腕を包み込むようにその手を握り直す。
 小さな手。
 自分のよりも関節ひとつ分くらい小さな、細い手。
 冷えきった手に亜美の温もりが伝わって来て、ふと思う。

 ――ああ、こういうのが、
 あいしてる……って言うのかな。

 「好き」って言うのと、「愛してる」って言うのとは全然別だな……と思う。
 好き、となら何度か――否、もう何度となく彼女に伝えたが、愛してる、なんてのはちょっとキザだし気恥ずかしい。
 でもこの気持ちは「好き」だけじゃ全然足りない。
 声に出してみようかと口を開きかけ――、とてもじゃないが言えそうにもなかった。声にしようとした途端に顔が赤くなるのを自覚しながら、口を「あ」の形にしたまま声を飲み込む。そしてごにょごにょと口籠らせながら声に出さず、唇だけで小さく言ってみた。
 すると亜美の腕に再び力が込められ、なんとなく、気の所為かもしれなかったが、きっと、彼女も同じ事を思ったのだろうとそんな気がした。
 彼女の温もりをもう一度全身で感じる。

 ――目覚めても眠り姫はちゃんと抱き締めてくれる。

「……ありがとう、亜美ちゃん」
 返事の代わりに、重ねられた手に再び力が込められた。
 

◆  ◆

 ――ね、歌って?
 ――ん、……いいよ。

 亜美がせがむとまことはくすりと微笑い、そして照れ隠しのつもりか頬を染めながら咳払いをひとつこぼす。
 母が生きていた頃には聖歌隊で独唱をまかされた事もあったが、随分と昔の事だ。
 先程歌っていたのも朝食を作りながらの鼻歌程度で、改めて歌うとなると――頬が薄らと染まる。
 そして軽く息を吸い――


  アヴェ・マリア わがきみ
  野の果てになげこう乙女が祈りを
  哀れと聴かせたまえ
  みもとにやすらけく
  いこわしめたまえ
  悩めるこの心
  君にねぎまつる
  アヴェ・マリア

  アヴェ・マリア わがきみ
  いわおのふしどにも 君が恵みのもと
  安けき夢はあらん
  君えませたまえば
  花の香は絶えじ
  たよるべきなき乙女
  君にねぎまつる
  アヴェ・マリア

  まがつ日の恐れも
  君が御光に
  雲と散りて消えん
  ひしがれし心を 君いやしたまえ
  かぎりなき信もて
  君にねぎまつる
  アヴェ・マリア


 ――ラテン語の詞で歌うのもいいけど、やっぱ日本語の歌詞も好きだな、あたし。

 歌い終えた彼女は、ちょっと照れながらそう言った。
 彼女の歌声は繊細で大胆で、のびやかで力強くて、躍動感があってとても――綺麗だった。
 彼女の歌声が好き――
 話す声が好き。
 仕種も笑顔も、
 彼女のすべてを。

 あいしてる。――口には、とても出来ないけれど。








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あとがき
★本当は。あんまりいちゃいちゃしていない二人を書こうと思って書き始めたんですが。どうよ。いちゃいちゃどころか、終いにはあんなこと言ってるし。言わせてるし。人生儘なりませんな。ケケ。

★今回自分に課したテーマがありまして。「ちゅーさせない!」
★最近書いてる小説、いちゃいちゃばっかしてるんで、(未発表のプロット段階のもの含めて)――だもんであんまり過剰にいちゃいちゃしてるのもまこ亜美っぽくないんで、本っ当は本っ当〜〜は、普通〜な二人を書きたかったんですが、希望は無謀。はっはっは! 結局任務遂行出来ませんでした、隊長! ええい、お前は懲罰房行きだ! ヒイ!! おしおきはムーンティアラアクションではなくスパークリングワイドプレッシャーでお願いします! 「リフレーッ……!」

★う〜ん、ちゅーはしてないけどさ。なんかいちゃいちゃしてるよ? ん〜。題材の選び方は間違ってなかったと思うんだけどな〜。いちゃいちゃにはならない予定だったんだけどな。予定は未定。

★はてさて、話は変わりまして、今回のSSは嵩乃の超個人的嗜好を満足気味にさせる為に書いたのデスが! 御存じセラムンSuperSクリスマスCD「Christmas For You」!!!!! これだ! これの9曲目をゼヒともエンドレスBGMフォーエッヴァーにしてお読み下され〜〜! 先に言え!
★篠原さんの「アヴェ・マリア」
★これの話を書きたいが為の欲求を満たすが為のお話だったりするのです! 篠原さんの歌声サイコーです! これを言わんが為の(略)
★あ〜ホラ、私篠原さん大好きなんで(力一杯)! つか、篠原さんの声っていい声してるじゃないスか。で、歌もうまい! それをネタに取り入れなくて何がまこ亜美ドリーマーじゃあ! という事で今回のネタになった訳ですが。つー事で、オレ設定→まこちは歌がうまい! コレだあああ! 皆さんそう思ってお読み下さい(先に言え)
★で、更にオレ設定。まこちゃんは昔聖歌隊にいた!?(半分疑問形なあたりが弱気)や〜そうでもいいかな、とか。歌とか好きそうだし(思い込み)や、でもまこちゃんって得意分野、主要5課目以外でしょ、明らかに。家庭科、体育は謂わずもがなで、音楽だって得意そう! 楽器とかはどうだろ、亜美ちゃんの方が上手そうだけど、歌なら上手そうだよ! つか上手いし! つか運動やってる人って発声法もちゃんと出来てそう。腹式呼吸も完全マスター! な気がしてきませんか、してきましたよね!
★あ、亜美ちゃんピアノとか昔やってそう。ふふふ二人で、亜美ちゃんピアノのまこちゃん独唱……。鼻血が出そうにおいしそうなんですが。亜美ちゃんお金持ちだから、小学生の時お稽古ごととか…。でも中学でそんな素振りないし、小学校の時やってたとしても、小学校止まりじゃあんまり上手くないか……しょぼん。でもでも亜美ちゃんなら上手い! 絶対上手い! 音感も良さそうですよ。クラシック耳コピとかで弾けちゃうんだ!(思い込み)

★う〜んお得意の妄想風呂敷広げ過ぎてしまったわ。タイム風呂敷で子供に戻って人生やり直した方が良さそうです、嵩乃さん。アレ、タイム風呂敷って物オンリーか? 人間は危ない? ♪ほんわかぱっぱーほんわかぱっぱードーラ、え、もん! ヘイ!

★で。まじめな話を。
★今回いつの間にかもう一つのテーマになっていた「あいしてる」……改めて活字にしてみると妙〜〜にハズかしいですな。げふげふ。しかもいつの間にかなんだ…。いかにプロットがテキトーかが…。
★なんかこの二人って「愛してる」っちゅ〜よりは「好き」とか言いそう。愛してるなんて恥ずかしくって言えなさそうですよね〜、というお話。でも心の中で言わせちゃった。や〜「愛してる」なんて言えないくらい、いつまでも初々しい二人でいて欲しいものですね。言えるようになるまでのエピソードってのいいですけど。それにこの二人の「愛してる」は恋人同士のそれよりも家族愛に近いんじゃないのかなんて。
★や〜それにしても「あいしてる」っていかにも嘘くさいと思うんですが。実際口にすんのって。どうよ。言えるようになったら下り坂な気が…。馴れ合っちゃってる気がするんですが。どうよ。




Waterfall//Saku Takano
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