休日の過ごし方。 〜on Sunny Sunday〜


 頬張っていた朝食のプレーンオムレツをごくりと飲み下して、――ひと言。
「キャッチボールでもしようか?」

 亜美はまこと特製のドレッシングの掛かったシーザーサラダのサニーレタスを口に含んだまま、彼女の何の脈絡もない発言に口の動きを止めた。ぱちくり、と瞬きをしてまことの発言の意図を考えて、結局先程まで話していた観葉植物の話とは一切繋がりがないであろう事に思い至って、四方や聞き間違いではないかと問いかけた――行儀よく一応レタスは飲み込んでから。
「なあに? 突然……どうしたの?」
「ああ、いきなりごめんね。全然関係ない話しちゃって」
 亜美のほんの少しだけ顰(ひそ)められた眉根を見て取り、まことは跋が悪そうにあはは、と笑った。
「ホラ、今日お天気がいいじゃない? 今日は特にやることも決めてなかったし、どうせだから運動するのも気持ちいいかな、と思ってさ。さっきは話しながら、亜美ちゃんに手伝って貰って鉢の植え変えでもしようかな、とか考えてたんだけどさ、どうせだからキャッチボールしてみるのもいいかな、と思ってね」
 言いながら窓際に鎮座している、先程の話題の主役の大きな観葉植物に目を向ける。
 ……そろそろドラセナユッカにも水、あげる頃かな? と真顔で呟いて、それから「どう?」と亜美に笑顔を向けた。その笑顔は子供のように無邪気で自分の思いつきも悪くないな、と少し得意気な顔をしていて、更におねだりするように目だけで亜美の顔を覗き込む。
「ダメ、かい?」
 右手で持ったスプーンを、重ね合わせた両手の親指と付根の間に挟んで持ち直すと、それを顔の前まで持ち上げて亜美を拝む。
 その姿がちょっぴり可愛らしく思えて、亜美は控えめにくすりと小さく微笑みをこぼした。
「いいけれど……植え変えの方はいいの? 時期とか気候とかそういうのがあるんじゃないかしら?
 ――そ……」
「ああ、大丈夫。来週でも十分間に合うし。それに今日はなんだか運動したい気分なんだよ! お天気がいいとウズウズしないかい?」
 そう言って、さもウズウズしているんだというふうにまことは胸の前で握り拳を二つ振り上げ、楽し気な気分を強調してみせる。
 亜美はその姿を見て、思わず目を細めてまことを見つめた。こういったストレートな感情表現は自分には出来ない。……まことのそういう素直な姿を見ていると、なんだか自分まで素直になれそうな気がして来るようだった。
 やがて亜美の表情を見て脈有りだと感じた萌黄色の瞳が、弧を描いて嬉し気に細められた。
「いいの?」
「ふふ、そうね、いいわよ。とっても気持ちよさそうだもの。……でも、どうしてキャッチボールなの?」
「あはははは――ほら、昨日の試合さ……」
「試合? 試合って――」
「グリーン・プランツの……。昨日の安部カッコよかったよなあ――。開幕33戦でホームラン20本、世界最速記録だって! やっぱスポーツして輝いてる人って素敵だよな〜〜」
 うっとりと瞳を蕩けさせてまことは呟いた。
 ――……まあ、先輩にそっくりって言い出さないだけいいわよね、と心の中で燻(くすぶ)るヤキモチを押し殺して、亜美は夕べのまことの一喜一憂の激しさを思い返す。スポーツ観戦をしている時のまことは真剣で喜怒哀楽が激しい。応援しているチームにチャンスが到来すれば、抱えたクッションを押しつぶさんばかりに興奮し、失点すればフローリングの床に額を打ち付やしないかと心配になるくらい肩を落とす――。シーズン序盤ならまだ可愛いものだが、後半になるとそれが更に熱を帯びる。おまけに春、夏の高校野球――甲子園の時期は試合を見ていて泣き出す始末だ。――十番高校は予選敗退していたとしても。
 と……そこまで短時間で思考を巡らせていて、はたと気付く。
 観葉植物……、グリーン……、グリーン・プランツ……、プロ野球チーム……、
 …………キャッチボール。
 …………なるほど。
 観葉植物の話題は彼女の中できちんとした脈絡があって、キャッチボールに思い至った訳だ。
「――――で。亜美ちゃんさっき何を言おうとしてたの?」
「え?」
「さっき植え変えの時期の話の時に、あたしが亜美ちゃんの言葉遮っちゃったじゃない? ごめんね。何言おうとしてたんだい?」
 突然の質問に、咄嗟に何を指して言っているのか分からなかったが、亜美はきょとんと崩した表情をすぐに元に戻した。
「あ……」
 ……そんな小さな事……。
 確かにさっき言おうとしていた事があったが、まことの発言と被って言い留まった。ほんのちょっとしたやり取りだったのにまことは気遣って、それを尋ねてくれた。
 まことの顔を見ると「ん?」と伺う準備の出来た表情(かお)で亜美の瞳を覗き込んでくる。
 亜美は自然と笑みがこぼれて、でもちょっと言い出し辛くて、はにかんで言葉を濁す。
「その……」
「なんだい?」
 ウキウキウズウズした笑みが眩しい。
 亜美は観念しつつも首が自然と力なく傾ぐのを自覚しながら、ぽつりと言った。
「私……体力測定のハンドボール投げ、実は……、評価C……だったの」
 ――技術的な能力はともかく、腕力には滅法自信のない亜美だった。


  「ああ、ユッカに水、水」
 いざ玄関を出ようとした時、ふと思い出して観葉植物に水をやろうと、まことは洗面所へといそいそと駆けていった。
 ダイニングキッチンに置かれた、青年の木の名の付された、幹が太くて青々とした葉を天へ向かって繁らせている背の高い観葉植物は、まことの誕生日に亜美が買ってプレゼントしたものだった。立ち寄ったフラワーショップの店内の端っこで、葉が根元で折れて値下げの札を首から下げられ放っておかれていたのを、まことが見付けリクエストしたものだった。折れた葉も今ではすっかり元気になり、「青年の木」の名に相応しく生き生きと葉を生い茂らせていた。
「さて、これでよし!」
 栄養剤を混ぜた水をやり終えたまことは手早く如雨露(じょうろ)を洗面台の下の棚に戻し、代わりにグローブと軟球ボールを持って玄関の亜美の元へ戻って来た。
「さ、行こうか。名コーチがじっくり教えてあげるからさ!」
 さり気なく肩を抱き、横から亜美を覗き込んで、ニッと微笑む。
「まこちゃんったら……」
 右肩に置かれた手の感触が、ふと以前の記憶を呼び戻す。
 ……ああ、そう言えば。
 まこちゃんはこういう気遣いが上手ね。
 浦和君の事で思い悩んでいた時もそうだった。そっと肩を抱いて、背中を押してくれた。
 思えばその頃からまこちゃんに惹かれていたのかも知れない――。
 肩に触れた手は安心感をくれる……大丈夫だって。
 今もそう。
 きっと素敵な時間がすごせそう。
 春の温かな日曜日――。

◆  ◆

 じゃあ、そこから投げてみて――言われた場所はグローブを嵌めた手を大きく振り上げるまことから20m程の距離を置いた場所。
 自然公園には春の陽気に誘われた親子連れやカップルの姿がちらほら見受けられ、土の地肌が広がる広場では追っかけっこをする父と子だとか、服の汚れなど気にも留めないやんちゃな子供たちがじゃれあっていた。二人はその広場の中心に陣取り、いざキャッチボールを始めようとまことはグローブを高々と掲げた。
「ほら、投げて投げて!」
 言われても、亜美にはどうしてもそこまで届かせる自信がない。
 まことは楽しそうに催促してくる。
「よぉし!」
 気合いを入れて、亜美はボールをぎゅっと握った。
「行くわよ! ――――えい!」
 少しばかり迫力に欠ける気合いと共に、亜美はボールを放った。するとボールは緩やかな弧を描きふわっと浮き上がると、そのまま緩やかに落下する。勿論まことのグローブには程遠い距離で。
「あ〜残念〜」
 まことは小走りで落下位置までやってくると、滑らかな仕種でひょいと腰を屈め、左手のグローブで落ちた球を拾い上げその勢いで一度ポンと宙に浮かせると、右手で横から攫うようにボールを掴んだ。
「――よっと!」
 動きはとてもシャープで、彼女の生来の運動神経の良さを感じさせる。彼女の何気ない慣れた仕種に、亜美は思いの外小さく胸が高鳴るのを感じた。自ずと顔も赤くなる。
 素敵……ね。
 我知らずぼそりと呟いた途端、まことがこちらを見てにっこりと笑った。亜美の心の動揺には全く気付いていないようで、無邪気に亜美とのキャッチボールを楽しんでいる。
「じゃあ、ここから投げるから。――いくよ!」
「あ、はい!」
 長い手足をふわりと振り上げ、軽く放る。
 それなのに先程の亜美の球とは比べ物にならない程確りとした球筋のボールが亜美のグローブ目掛けて飛んで来て、あれよあれよという間にすっぽりとそこへ収まった。亜美は呆気にとられ、自分の手の中に収まった白球をまじまじと見つめる。何も労せずとも球の方から飛び込んできた感覚だった。
 視線を上げまことを見つめると、にこやかに片手を上げてボールを催促する彼女の伸び伸びとした姿に、また胸が高鳴った。
 まこちゃん……!
「亜美ちゃ――ん!」
 彼女は本当に楽しそうで、出来るなら今度こそまことのグローブに白球を届けてあげたかった。
 ようし……
「――――えい!」

「ふふふ」
 まことは懸命になる亜美の姿を見て、こっそりと笑みをこぼした。
 案の定、球は緩やかな球筋で少し頼り無かったが、それでもどうにかグローブの届く距離まで飛んで来た。素手でダイレクトキャッチすら出来そうであったが、グローブで捕球した。
「じゃいっくよ――!」
「はい!」
「ええい! スパークリング・ワイド・プレッシャー!!」
「――ええ!?」
 亜美の不意をついてジュピターの得意技よろしくアンダースローで思いきり振りかぶると、驚いて一歩後ずさった亜美の姿が目の端に見えた。放る瞬間に勢いを殺し、見た目の迫力程球威のなくなった球が亜美に向かって飛んで行く。
 亜美は体を強張らせ思わず捕球する事を忘れて、ボールはそのまま亜美の左肩すれすれを通り抜けていった。
 思いの外球威のなかった事に今更になって気付くと、赤い顔をして亜美は拳を振り上げた。
「もう、まこちゃんたら、驚かせて……!」
「えへへ〜〜、びっくりした?」
「するわよ! もう!」
 言いながら振り返り、ころころと転がってゆくボールを追い掛ける。
 後ろではまことの笑い声が楽し気に響いていた。

◆  ◆

「疲れたぁ!」
 広場の端の木陰の背の低い草が繁る所で、亜美は両足を抱えるように幾分ぞんざいな仕種でとすんと腰を下ろし、ほうっと息をついた。今日はまことから借りたデニムのクロップトパンツを履いているので、スカートの裾を気にしなくて良かった。昨日、まことの家に泊まる約束をして家を訪れた時はプリーツスカートを履いていたのだが、それで運動をするのは気が引け、急遽まことにパンツ借りたのだった。
 だが紛れもなくまことの所持品なので、丈の短いクロップトパンツとは言えど、どうも中途半端な長さになってしまい、数回ロールアップして履いていた。……普段はあまり気にしない脚のコンパスの差を、自覚させられる。
 亜美のパンツの裾を折り上げながらまことは、サイズが全然合わなくてごめんね、なんて謝っていたが、ともすれば嫌味にもなりかねない言葉も、亜美もそんな事は気にはならないし、ただまことの手足の長い抜群のスタイルの良さを感じてなんだか誇らしく思った。
 まことに惹かれる前までは人の外見なんて気にもしなかったけれど、まことに惹かれ始めた事で、彼女の容姿の……人よりもずっとメリハリの効いたスタイルの良いところや長身である事など、そういう所にも愛着を感じるようになっていた。
 それからスポーツをしている時の滑らかな動きとか、楽しそうな笑顔とか……。
「お疲れサン。結構楽しかったね!」
 まことは座らずに亜美の前に立ち、今は運動で火照った身体には少し煩わしく感じる太陽の熱を遮ってやる。……亜美は心の中でありがとうを言い、まことを見上げた。
「それにしてもまこちゃんは……全然疲れてないみたい」
 少し気怠げな、そして余裕をやっかむ気持ちを少しだけ込めた声で亜美が問いかけると、まことは「そう?」と曖昧な笑みをこぼし、着ていたノースリーブのシャツの襟元を少し引っ張り、手で風を送り込んだ。
「あんまり疲れてはいないけど、暑いね」
 そう言いながら今度はシャツの裾を持ち上げてはためかせ、身体に風を送り込む。
「まこちゃん……お腹が見えちゃうわよ」
「え? まあいいよ。亜美ちゃんに見られたって今更困らないしね。――ねえ?」
 いじわるそうに言って唇の端を持ち上げる。
「ばか!」
 亜美は顔を微かに赤らめて、まことの膝頭にコツンと拳をぶつけた。そして顔を横に振り、ぷうっと頬を膨らませる。
「あ、亜美ちゃんが怒った」
「怒ってるんじゃないわ! もう、まこちゃんったら他に誰もいないとすぐそういう事言うんだから!」
「そういう事って、どういう事だい?」
「そ、……んな、別に……」
 思わずまことの顔を見上げ楽し気に細められた瞳と出会うと、亜美はついに顔を真っ赤にして、唇をちょっと噛んで、また視線を逸らした。ふと昨夜の事が頭を過(よぎ)る。
「あ、今度は照れてる!」
「ち、違……」
「ふふふ」
 まことは扇ぐ手を止め、少しの間、亜美の事を見つめた。
 亜美は拗ねてそっぽを向きながら、デニムパンツの巻き上げた裾を手持ち無沙汰に撫で付けている。
 その仕種が普段の優等生の亜美とは対照的に幼く見えて、まことは笑みをこぼした。
 それを見咎めた亜美が、眉根を寄せて上目遣いにまことを見上げた。――そんな仕種が尚の事まことの笑みを誘う事も知らずに。
 声に怒りを込めるが、まるで子猫の威嚇のようだ。
「なによ、まこちゃん?」
「や……その、ね……」
 ははは、とはにかんだ笑みを浮かべながら、まことはぽりぽりと頭を掻く。
「?」
「亜美ちゃん可愛いなあ……とか思って……さ。夕べの亜美ちゃん、とかね……」
 なんてね、などと冗談めかしてはいるが、言ってる本人が照れてしまい顔を赤く染めている。
「ま、まこちゃん……!」
 亜美は度々の大胆な発言に驚いてまことに抗議しようと勢い良く立ち上がった。
 ――が、目の前の照れて赤くなった顔を目の当たりにして、一体まこちゃんはどんな自分を思い出したのだと疑問に思った瞬間、顔が火照り耳まで熱を帯び始め、言いたい言葉も何もまとまらなくてくるりとまことに背を向けた。そのまま太い木の幹まで逃げ出してしまおうかと思ったが、走り出す前にあっさりとまことの長い腕に絡め取られてしまった。
「きゃ!」
「ホラ、もう逃げられないよ!」
 不意に耳元で声がして、亜美は心臓がきゅ、と鳴ったのを感じた。
「逃げちゃだめだよ、亜美ちゃん」
「……ま、まこちゃん。そんなにくっついてちゃ暑いでしょ。――あ、だめ!」
「亜美ちゃんとなら、全然へーきだよ」
 まことは亜美を背中から包み込むように捕まえて、くすぐったがる亜美を余裕で取り押さえている。
 亜美は腰に触れるまことの手がくすぐったくって、笑い声を上げながら身をよじった。だがちっとも束縛は弛んでくれなくて、悪ノリしたまことがわざとくすぐり始めると、堪らなくなって大声で笑い出してしまった。
「や! もう、まこ……ちゃん!」
「え〜い。こしょこしょこしょ〜〜〜!」
「や! あ、だめったらだめ!」
「ホラホラホラ〜〜!」
 ――これでは全くの子供のじゃれあいで、大きな声で笑っている間に先程の気恥ずかしさなんていつの間にか吹っ飛んでしまっていた。
 ひとしきり二人は笑い合うと、亜美がまことに抱っこされた格好のまま二人は腰を屈め、しばしの間息をついて荒い呼吸を整えた。
「はあ、あ、暑いねェ……」
「ま、まこちゃんが放してくれ、ないから……はあ、」
「確かに……。だって放したくないからさ――ね」
 そう言って不意にまことが顔を上げる気配を感じて、つられた亜美も顔を上げてまことを振り返った。
 と。
 ――唇が頬に触れた。

 そう理解出来たのは1秒後。

「――――ま!」
「亜美ちゃん、大好き」
 怒りをぶつけようとした瞬間、全ての動きを止めてしまう魔法の言葉を囁かれて、亜美は言葉を飲み込んだ。
「――――――――!」
「大好き」
 ぎゅ、と身体を締め付けられる。
「ま――」
 亜美にしか魔法の掛けられない魔法使いは、亜美が名を呼ぶ前に、そっと身体を離した。
 そして振り向いた亜美にいらずらっぽい笑みを投げかける。
 ――だいすき。
 亜美は顔を赤らめて、そのまま彼女の名前を飲み込んだ。
 その代わりに一歩足を踏み出し、まことの腕を掴む。
 周囲の視線が――気にならなくない。今日は休日だし人出も少なくはなかった筈だ。
 きゅ、とまことの腕を握りしめる。
「もう……だめじゃない……」
「ちゃんと……誰も見てないように、確認したよ」
「そういう――問題?」
 言いながら、亜美は懸命にまことの胸に飛び込みたい衝動を堪えた。「だいすき」が胸の中で大きく膨らんで鼓動が速まっていく。
「……こんな事して、怒られるかと思った」
「怒ってるわよ……。こんなに人目のある所で……」
「ホント?」
「ホント」
「怒ってる?」
「怒ってる」
 ――じゃあ
 と、まことは亜美の手を解いて、その手を握り返した。
「怒ってもいいよ」
 ますます鼓動が速くなっていく。
「…………」
 何か叱る言葉を――と頭の中を探ってみるが、心の中は別の言葉でいっぱいだった。
 亜美はゆっくりと顔を上げる。
 まことは亜美の細い指先をそっと撫で続け、亜美の視線を受け取った。
「…………だ―――」
 亜美は消え入りそうな声で呟いた。
 ――だいすき。
「うん」
 ……知ってる。
 ――そう言って見つめるだけでドキドキしてしまうような微笑みを浮かべるまことを、亜美はその微笑みさえももしかしらた確信犯かも、とちょっぴりいじわるなまことと知っていて、それでも尚ドキドキして、潤んだ瞳で彼女を見上げた。
 そしてその手をきゅ、と握り締めた。
 それを合図にお互いがゆっくりと身体を離す。
 名残惜しさが全身を締め付けていたが、周囲の視線が気になってゆっくりと手を離した。


「あの〜〜……」

 ――聞き覚えのある声に、二人は身体を硬直させる。
 声がしたのは頭上からで、突然である事と思いも寄らない方角から声がした事で、二人は顔を上げる事さえ出来なかった。
「あの……さ、こ〜いう場所でこ〜いう事はまずいんでないの、やっぱし?」
 一番言って欲しくない的の中心をどんと射抜いた言葉に苛立ちを覚えて、二人は同時に振仰いだ。
「ねえ? まこと、亜美!」
 その場の空気の読めない白猫が、にやにやしながら木の枝の上で尻尾をくるりと遊ばせた。
「ア〜ル〜テ〜ミ〜ス〜」
「な――」
「コラァ! 降りてこい、アルテミス!」
 顔を真っ赤にしたまことが、飛び上がってアルテミスの尻尾を掴み、白猫は驚いて飛び上がりながら、器用に前足だけでなんとか枝しがみついた。
「ちょ! 落ちる落ちる!」
「いつからそこにいたんだ! ハクジョーしろ!」
「覗き見するなんて酷いわ、アルテミス!」
「危ないよまこと! ぼ、ぼくは美奈子に付き合って公園に来てここで昼寝していただけだよ! そっちが勝手に――どわ!」
 ズササササ、と葉の擦れ合う音がして白い塊が落下した。
 まことはその塊をキャッチし、前足を両の手でそれぞれ掴み目の前にぶら下げた。
「何が昼寝だ! 確り見てたく――――」

「え!?」

 まことと亜美が同時に声を上げる。
「美奈子ちゃん!?」
 恐怖の大王の名を叫んだ瞬間、何かが飛んできてまことの額にぶち当り、ついでとばかりにアルテミスの頭にも一撃を喰らわせ、背後の草むらに落ちて行った。
「たッ!」
「ぎゃッ!」
「済みませ――ん。こっちに羽根が――……」
 聞き覚えのある、少し高めの弾んだ声が駆け寄って来る。
「――みッ」
「あ! やっだ亜美ちゃん、こんな所で偶然――!」
「――美奈……子……ちゃん」
 名を呼び、亜美は自分の中で血の気が引くのを感じた。
 彼女が現れたからには、最早覚悟しなければならなかった――。
 遊びの標的にされる事を……。
「って、まこちゃんまで! あ、二人ここでデートしてたんだぁ!」
 実にさり気なく堂々と大声で言って欲しくない事実を大声で暴露する美奈子。
「アルテミスも見かけないと思ったらこーんなところで出歯亀してたのね!」
「ちょ、美奈! でばがめ――」
「んもう。人の恋路を邪魔してると猪に蹴られてシシ鍋にされちゃうわよ!」
「オイオイなんだよソレ」
「――ああ!! こんな所に猪が!」
「――って、そりゃあたしの事かい!」
 キッ、と大仰な驚き方をする美奈子を睨み付け、抗議しようとまことは口を開きかけたがあっさりと鉾先をへし折られてしまう。まことの肩をポンポンと叩き、勝手にうんうんと頷いては口を挟む隙も与えずにまくし立てる。
「やあね、冗談よ。でもまあ猪突猛進ってまこちゃんの為にあるような言葉よねえ。――あ!
 やあっだ、まこちゃんったらおでこにキスマークなんか付けちゃって――」
「へッ!?」
 まことは眉を八の字に顰(しか)め、そんな所にキスマークなんか……と考え、はたと気付く。
「これは何かが飛んできて――」
 言いかけて突如別の大きな声がそれを遮った。
「美奈子ちゃん! そんな所に付ける訳ないでしょ!!!」
「――わあッ!」
 見ると顔を真っ赤にした亜美が、二つの拳を下に押し出すようにして叫んでいた。
「あ、亜美ちゃん……?」
「やあっだ、亜美ちゃんたら! じゃあ他の所になら、付・け・る・ん・だ?」
 いや〜〜んと黄色い声を上げながら、美奈子が亜美の肩を突(つつ)く。
 その途端亜美はちらりとまことを見たかと思うと直ぐに視線を美奈子へと戻し、更に顔を赤くして、慌てて顔の前で手を振って言い訳をした。しかし呂律が回っていない。
「や! あ! 違ッ! そそそ、そんな訳ないじゃない!」
 ――あ〜あ……。
 そんな態度じゃバレバレだって……亜美ちゃん。
 がっくりと肩を落としたまことの心の中のツッコミは、その場にいた全員の気持ちを代弁しているかのようだった。
 気を取り直してまことは美奈子に問う。
「もう、美奈子ちゃんこそなんでこんな所にいるんだよ。あ、もしかして他の皆も――?」
 言いかけたまことの言葉を、ノンノン、と人さし指を振って否定する美奈子。
「今日はパパとママとバドミントンをしに来てるのよ。戦士もたまには家族サービスしなくっちゃね!」
 うふ、と嬌態(しな)を作って更にはウインクのおまけ付き。
「サービスされてるのは美奈の方だろ」
「何よアルテミス!」
 天を指していた人さし指を白猫の小さな額に押し付け、美奈子は愛と美の戦士とは到底思えないようなしかめっ面をアルテミスに向けた。
「だってそうだろ!」
「何よ!」
「――ねえ二人とも! こんな所で話し込んでいて大丈夫なの? ご両親が待っているんじゃないの?」
 ヒートアップしそうだった二人の間に亜美が割って入り、その仲裁に二人ははたと気付いた。
「いっけない! あ、じゃあまたね、亜美ちゃんまこちゃん。あんまり公衆の面前でイチャイチャしてちゃだめよ。
 ホラ、アルテミス行くわよ!」
「ぐえ!」
 首根っこを掴まれてまことの腕の中から攫われた白猫はぐったりと疲れた顔をして、二人に手を振った。
 亜美とまことも小さく手を振るのが精一杯で、無言のまま愛と美と人騒がせの戦士を見送った……。
「…………はあ」
 後には二つの大きな溜め息が残された。

◆  ◆

「結局美奈子ちゃんは何しに来たんだろう……」
「さあ……?」 
 木の下で腰を下ろし、籐製のバスケットを開けて中身を取り出しながら、先程の美奈子との怒濤の3分間を思い返す。バスケットには二人で一緒に作ったサンドウィッチとフルーツの入ったタッパーが入っていた。
「あ、これ……。まこちゃんが作ったサンドウィッチね」
「ああ、ソレ冷蔵庫に残ってたアボカドでソース作ってみたんだ。どう? 大丈夫?」
「――ええ、とっても美味しいわ」
 亜美はにっこり微笑みながら、さすがまこちゃんね、と隣の名シェフをしきりに誉めた。
「いやあ、亜美ちゃんの作ったこのクラブハウスサンドだってすっごく美味しいよ。時間が経っててもベチャベチャしちゃってないし、野菜の水分を丁寧に拭いたんだね。焼いてあるからパンも香ばしいし。美味しいよ」
「やだ、まこちゃんの方のが美味しいわよ」
「いやいや、亜美ちゃんのだって――」
「まあたイチャついてるわね、この二人」
 ――にょき、と背後から二人の間を割って入ってきた金髪の首ひとつ。
「のわ!」
「きゃ!」
「みみみ、美奈子ちゃん! 両親の所に戻ったんじゃなかったのかい!?」
「さっき拾い忘れた忘れ物を取りに来たのよ。――コ・レ!」
 ぐいっ、と美奈子が突き出したのはバドミントンの羽根だった。
「この辺はもう夏ね〜〜。暑いわ〜〜。誰かさんたちのお陰で暑いわね〜〜〜! っと!
 じゃあね、あ〜〜暑い暑い。春を通り越して常夏ね〜〜二人の周りは」
「――って、さっきあたしの頭にぶつかって来たのはやっぱり美奈子ちゃんが元凶か……!」
 しかしその元凶は既に声の届かない所まで行っており、彼女の近くには何度か顔を合わせた事のある両親の姿も見えた。
「……ぶつけた所、大丈夫? 赤く――なってるけど……」
 亜美はまことのこぶになっている赤い腫れを見て、そしてふと先程の美奈子の言葉を思い出し、顔を赤らめて下を向いた。
 まことはシャツの襟を引き寄せ、苦笑を漏らした。
「美奈子ちゃんに見られなくて良かったよ、コレ」
「うん……」
 手を下ろしたまことの襟元の奥をよく見ると、赤い内出血の痕が見える筈だった。
「ご、ごめんなさい……」
「や、いいよ。あたしなんかもっといっぱい付けちゃった気がするし……」
 ――あ!
 突然亜美が声を上げた。
「どうしよう……」
「え、何、どうしたの亜美ちゃん?」
「……私のクラス、明日から体育は水泳の授業が――」
「え゛ッ!」


「ホンット今日は天気が良過ぎて暑いわね――」
 二人の姿を振仰いだ美奈子は、二人の会話が聞こえる筈もなかったが……
 ――ひと言ぼそりと呟いた。
「常夏ね、あの二人」

fin.








POSTSCRIPT
あとがき
★ラーブリー! ドカーーーーン!
★えーっと敵が「ラーブリー」と叫んでやられるのはどのシリーズでしたっけ? S? ん? だめだ、思い出せません。あっはっは!

★あ〜ああ。自分でつっこむ気にもなんねーや。あ〜ま〜あ〜ま〜だね! うわお! つかただの恥ずかしいバカップル。このところバカップル話ばっかり書いてるな、わし。誰か止めてくれ。本来は極自然なほのぼのした二人が書きたい筈なのに、欲望の赴くままキーを打つとあれよあれよとバカップルいちゃいちゃ話になってまう。う〜ん。ほのぼのが書きたいのになあ、なんでほのぼのにならんのですか?
★…で、バカップルというか。ああ、二人はそういうカンケイなのね、な話なんですけど。アーユーオーケー? って読み終わってから断るなよ。済みません。そういう関係らしいですよ、二人は。げっは。
★え〜と、私的には二人の関係ってのは、中学の頃は純な関係です。まこちゃんも手を出そうとはしないし、亜美ちゃんもそういう行為は年齢的に良くないな、と思ってます。お互い示し合わせてそうしようとしたのではなくて、自然とそういう考えになっているというか。で、高校生になってどちらからともなくそういう風になっていったと! どちらからともなくってのがミソ! まこ→亜美だとまこちゃんから手を出しそうですが、そうではござらん! お互い徐々になんとなく「そ、そろそろ?」みたく思うのです! だってまこちゃん絶対亜美ちゃんが望んでなければ、そんなの話題も振らないだろうし、そろそろ、みたいなのってフィーリングで分かるっちゅうか、なんちゅうか、まあそういう事にしておきますよ。そうさせておいて下さい!

★わ〜結構濃い話をしているな、ワシ。壊れっぷりが激しくなってきておりますがな。
★あ〜、で。
★結局ヤマのないオチのない意味すら皆無な作品になってしまいましたが。たまにはいいですよね。ってたまにじゃないじゃん。バカップルばっかりじゃん! ん〜次回こそはもっとテーマのきちんとした作品を書きたいです。ハイ。

★それから野球。一応公平に(?)新球団を創設してみました(笑)何やらまこ亜美界ではプロ野球好きな方も結構いらっしゃるみたいだし、野球ネタもいいのかな、と。でも公平にと言う割りには個人名出してるじゃん! 漢字は違うけど。記録とかまんまだし。ま、記念って事で。おめでとう阿部○之介!
★ってか「グリーン・プランツ」って弱そうな名前だな〜(笑)もちろんチームカラーは緑で(笑)

★それからドラセナユッカ。高い観葉植物です。格安で買って来たのは私の母です。まあ、ウチにあるのはドラセナコンシンネっつう少し種類の違うヤツですが。ちなみにお値段はひと株8,000円からそれ以上! 異常です。そんな高い金出して買う程のもんか、と思ってしまいます。ちなみに。母は、枝の痛んだそれを1,500円に値切ったツワモノです。
★ってコトで。亜美ちゃんがまこちゃんにプレゼントしたのは精々3〜4,000円くらいですかね。高校生がプレゼントするのってそれくらいの額が丁度いいかと。最近の高校生さんの台所事情は分かりませんが。私の高校生時代の時価って事で。
★で、プレゼントしたのは観葉植物プラス自ぶ(強制終了)




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