〜The Next Day〜


――次の日――

「まこちゃん、今日はえらく機嫌がいいわね」
「そうね、恐いくらいだわ」
 美奈子とレイは、向かいに座るまことの緩みっぱなしの表情を見て、流石にどうにも締まりのなさ過ぎる顔に呆れて、呟いた。
「え? 何か言ったかい? 美奈子ちゃん! レイちゃん!」
「――――別に」
 再びまことの笑顔の押し売りを押し付けられて、二人は同時に吐き捨てた。手に持っていたシャープペンシルを放り出して、美奈子は肩をすくめ、レイはそっぽを向く。
 今日も今日とて火川神社のレイの自室で勉強会が開かれていた。
 しかし真面目に勉強しているのは亜美だけで、他の面々は途切れてしまった集中力をぽい捨てし、既に完全にやる気をなくしていた。――うさぎは最初(ハナ)から集中力など持ち合わせてはいなかったが。
「もう、皆。中学3年生なんだからきちんとお勉強しなきゃダメよ。皆さっきから1ページも進んでないじゃない!」
 怒ったように亜美がそれぞれの顔を覗き込んで見回す。今日の亜美はいつもより更に勉強熱心というか、問題集を解くのに必死になっているようにも見えた。更に困った事に――
「美奈子ちゃん、問3は出来たの? レイちゃん問5の所、途中計算ミスしているわ。うさぎちゃん、さっき私が考えた問題は解けたの? 最初に教えた方程式を使えばいいのよ?」
 ――3人のノートをちらりと見遣り、それぞれの問題点を瞬時に指摘していく。生徒たちへの指導にも熱が入っているようだ。ただ一人の生徒を除いて。
「あの、亜美ちゃん、あたしは――……」
「…………取り敢えず全部合ってるわ。問2で手が止まっているようだけど」
 淡々と言い捨てて、さっさと自分の問題集に視線を落とす。
「え? そんだけ?」
 まことは肩透かしを喰らって、ぽかんと口を開けた。
「他に何か?」
「いや、……じゃあこの問題教えてくれる? ちんぷんかんぷんでさ」
 言いながら、隣の席ではなくコーナー越しに座る亜美の方ににじり寄りながら、まことは問題集を亜美へと向けた。無論少しでも亜美に近寄る口実である為、笑顔がこぼれる。
 亜美はそんなまことを一瞥して、自分は居住まいを正す振りをして、5cm程距離を取った。
 まことは問題集を覗き込む振りをして、上体を亜美に寄せる。
「――――」
「ね、教えて、亜美ちゃん」
「…………これは問1の応用だから冷静に考えれば分かる筈よ。この方程式を使ってまずこの式を解いて、それを更にこの式に代入して。――ハイ。後は自分で考えてね」
 言いながら素早く問題集をまことに向けて戻し、自分は問題集に集中する振りをした。
 ――亜美ちゃん、つれない。
 まことの悲しげな、唇で言うだけの独り言を聞き付けた訳ではないが、流石に残りの3人も亜美のまことに対する態度が普段と違う事に気が付いた。
「まこちゃんも随分変だけど――」
「亜美ちゃんもどっか余所余所しいわよね」
 美奈子とレイは小声で囁き合い、二人を交互に見つめた。
 そしてうさぎが眉根を寄せて問いかける。
「あれ? まこちゃん、亜美ちゃんと仲直り出来たんだよね?」
 するとその問い掛けに、まことは異様な笑みを浮かべて、いや、まあね、と頭を掻いた。
 不意に昨日の様々な事が頭を過り、亜美と抱き合った事、短いけれどキスを交わした事などが瞬時に甦って、まことを一層にやけさせた。
 3人は、崩れ切った相好にさも呆れたように顔を顰める。
 勉強会が始まった時刻から――ではなく、朝から一日中まことは笑みを絶やさず、時折一人含み笑いをして、更に頬を緩ませる事もしばしば。ともかく今日のまことは明らかに様子が違っていた。
 機嫌が良いのを通り越して、正に恐いくらいの陽気さだった。
 対してまことにのみどこか余所余所しい態度の亜美。
 どちらも仲直りした友人の態度とは少し違うようだ。
「喧嘩――してたの?」
「二人が? 珍しいわね」
「ん〜、でも昨日の様子じゃ大丈夫だと思ったんだけどな〜」
「いや、喧嘩とかそういうんじゃないんだよ。ねえ、亜美ちゃん?」
 くるりと亜美へと顔を向けたまことの熱を増す浮かれた視線をさらりと躱して、亜美は不意に立ち上がった。
「そうね。喧嘩ではないわ。――ちょっとまこちゃん、いいかしら?」
 亜美は一度まことと視線を合わせたもののそのまま直ぐに逸らしてしまい、先立ってさっさと障子を開いて廊下に出て行ってしまった。
 未だ緩みっぱなしの表情でまことがその後を追う。
 後に残された面々は顔を合わせて首を捻るしかなかった。
「何あれ?」
「さあ?」

「――まこちゃん、今日様子が変よ。皆だっておかしいと思っているわ」
 レイの部屋から少し離れて、廊下の端で亜美はまことを見上げた。
「おかしいのは亜美ちゃんの方じゃないか。どうして今日はそんなに冷たいんだよ」
 まことは亜美と二人っきりになれて嬉しく思ったものの、期待に反した亜美の言葉に拗ねたような態度を取るしかなかった。
「冷たくなんかしてないわ。普段通りよ」
「違うよ。余所余所しいよ。あたしが学校で亜美ちゃんに笑いかけた時も無視したじゃないか。さっきだってあたしにだけ素っ気無いしさ」
「だって……!」
「どうしてなのか分かんないよ」
「…………」
「夕べはあんなに――……優しかったのにさ」
「――――ッ」
 まことの言葉に亜美はそれまで貼付けていたポーカーフェイスを剥ぎ取られ、真っ赤に顔を染めた。
「それにあたしの事、す、好きだって言ってくれたじゃないか。それに――」
 まこともそう言いながら顔を染める。昨夜の亜美との抱擁を思い出し、鼓動が高鳴ると共に無性に照れてしまう。思わず言葉に詰まって、口元に手をやり、そして勢いづけて言葉を接いだ。
「それに、キ、キ、キ! キスだって――……」
「まこちゃん!」
 猛烈に顔が熱い。
 顔を赤らめたまことを見上げ、亜美もこれ以上ないという程に顔を真っ赤に染めた。
 朝から時折見せる思い出し笑いの原因に「やっぱり」……と突き当たり、亜美は居たたまれなくなり、名前を呼んだきり俯いてしまった。思わずその瞬間を思い出してしまい、その場から逃げ出したくなる。
 まことも恥ずかしいのはお互い様だが、それでも何とか顔を染めたまま消え入りそうな声で続けた。
「……あたし……嬉しくって……。……なのに亜美ちゃんいきなり冷たくするしさ……訳が分からないよ」
「ま……」
 亜美は彼女のそんな酷く落ち込んだ声を耳にして、本当は目を合わせる事すら恥ずかしくってそのまま俯いていたかったが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「まこちゃん……。ごめんなさい」
 まことは赤い顔のまま少し困ったような顔をして、それからおずおずと亜美と視線を合わせた。
「…………」
「私……ま、まこちゃんと顔を合わせると緊張しちゃって……どうしていいか分からなくなってしまうのよ。それになんだか恥ずかしくって……、だから自分でも知らない内にまこちゃんに対して距離を取ってしまったのかも……」
 それからもう一度、ごめんなさい、と繰り返して「しゅん」と音がしそうな程肩を落として縮こまってしまった。
 そんな亜美の姿を見ていると、まことも理不尽だと感じていた気持ちがあっさりとゆるゆる溶けていってしまうのだった。
「うん……いいよ。でも、今からは普通に接してよ。でないとあたしだって寂しいよ。ね?」
「ええ……。でも、まこちゃんもちょっとだけ気を付けてね。その……そんなに表情に出さないで。私も恥ずかしくなっちゃうから……」
「あは。ごめん。嬉しくってどうしても思い出しちゃうんだよ」
「――また」
「え?」
「笑ってる」
 まことの酷くにやけてだらしのない頬を指で突(つつ)く。指先が熱くって、自分の手も、まことの頬も熱いのだと気付かされる。
「だめよ、まこちゃん」
「へへ……、ごめん、亜美ちゃん」
 まことは謝りつつもしばらく顔は直らないかもね、と悪びれもせずすっかり諦めて、亜美を見つめた。
 今の亜美はすっかりつんけんした棘は抜け落ちていて、普段の――否、昨日のひたすら照れまくる可愛らしい亜美へと戻っていた。
 まことは腕を伸ばし、亜美の肩に触れようと手を伸ばす。
 ――抱き締めるくらいはいいよね。
 そう思ってさらにもう一方の腕を伸ばしかけた。
 ――と、その途端亜美はくるりと回れ右をしてまことの腕をすり抜ける。
 まことの腕が空しく空を切った。
「亜美ちゃ――……!」
「あら、皆。覗き見なんていけないわ」
 にっこりと微笑む亜美の横顔が目に映る。――何故か背筋に寒気が走った。
「やっだ亜美ちゃん。覗き見なんて――ね、レイちゃん!」
「そ、そうよ。二人が戻って来るのが遅いから心配して――ね、うさぎ!」
「え〜〜二人が怪しいから覗いてみ――ムガモゴフガ!」
「黙ってなさいよ、あんたは!!」
 障子の隙間から串だんごのような連なった頭が覗いていたが、バランスを崩しあっさり自滅した。
「怪しいって、何もないわよ、私たち。じゃ、お勉強を再開しましょ。――まこちゃんも」
 振り向いた亜美の目は鋭くまことを牽制していた。
 ――分かっているわよね?
 薄らと浮かべた微笑みの下の棘はまだ抜け落ちてはいなかった。

 レイの部屋に戻って再び着席した時。
 二人の距離は5cmから10cmに広がっていた。
「とほほほほ」
 まことの心中を乾いた笑いが通り過ぎて行った……。

Fin.








POSTSCRIPT
あとがき
★いちいち思い出し笑いをするまこちゃん。
★むしろ恥ずかしくって逆に皆の前では冷たい態度を取ってしまう亜美ちゃん。

★亜美ちゃんだって嬉しくってちゅーしたのや抱き合っていたのを思い出したりしなくはないんでしょうけど、鉄仮面被ってそうですね。眉ひとつ動かさない感じ。心中は照れまくってても。
★んで、この二人、ちゃんと付き合い始めても落ち着くまでちゅーとかしなさそう。ただ照れまくるだけで。そんなの希望。




Waterfall//Saku Takano
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