ぬくもり |
ぐ〜〜〜〜〜、とお腹が鳴く。
赤い顔をして、並んで歩いている隣の友人を見下ろすと、ちょっと困った顔をして笑いを堪えているのが分かって、また更に顔が赤くなる。 「そ、そんな、笑わなくてもいいだろ」 まことは不自然に揺れる亜美の肩を、自分の二の腕でグイ、と押す。するといよいよ亜美は吹き出してしまって、口に手を当て、意外にも彼女にしては大きな声で笑い出した。 「もう、笑わないでよ! あたしだって好きでお腹なんか鳴らした訳じゃないんだから!」 「だ、だって、まこちゃんったら、アレ見た途端、お腹鳴らすんですもん。……も、おかしくって!」 そう言って亜美が路肩に停車している一台の車を指差す。 「アレを見たからじゃないよ、たまたまだよ! それに今って一番お腹がすく時間だよ! 亜美ちゃんだってお腹すかないの?」 懸命に言い訳をして亜美自身に話を振ってみるが、当の亜美は息も接げない程の勢いで肩を揺らし、まことの言葉が耳に入っているのかすらも疑わしい程で――。 「もう、そんなに笑わないでよ!」 「ご、ごめんなさ、い。で、でも……と、止まらなくて!」 まことは恨めし気に前方の車両に目を向ける。――石焼き芋の看板を掲げたトラックに。 それから頬を膨らませて、もう一度無言で亜美の肩を押す。しかしそれでもぶつかって来た腕を掴んで尚も笑い続けるものだから、結局彼女へのこれ以上の反撃は無駄だと判断し、まことは笑いの元凶であるお腹に手を当てたまま溜息をつくしか出来なかった。 それから1分程して、ようやく笑いを収めた亜美が、目の端に溜まった涙を指先で拭いながら白状した。 「実は私も少しお腹が減っているの。……だから、尚の事おかしくって」 なんだ。そういう事か。 「もう。だからって笑い過ぎだよ。でも、じゃぁ、せっかくだし二人で食べてく? 焼き芋」 まことがトラックを親指で指差しながら言うと、亜美も楽し気に微笑んで、大きく頷いた。 「ええ」 一日頑張って授業を終えた放課後はどうしたってお腹が空く。それに今日はまことのクラスは体育があり、お腹が鳴るにはそれなりの理由があったのだ。 「亜美ちゃんのクラスは、今日は体育なかったろ? だからだよ」 「……そうね」 「なんだよ」 「なぁに?」 「笑ってる」 「ふふ」 「んもう、何さ!」 ふざけてまことが睨み付けると、亜美はカバンで視線をガードしながら笑って言う。 「だってまこちゃん、放課後は大概お腹空いたーって言ってるもの、体育の有無に関係なく。――うさぎちゃん程ではないけれどね」 「……確かに」 覆せない事実を指摘され、ぽりぽりと頭を掻く。確かに昨日も言っていた気がするし……。まことは苦笑いを亜美に向け、その顔を見て亜美がまたくすりと笑った。 やがて、トラックの側まで来ると、まことが強面の中年販売員に声を掛けた。 「え〜っと、1つずつでいいよね。おっちゃん、美味しそうなの二つちょーだい!」 「あいよ。じゃあ、二つで千円な」 「高!」 亜美がぎょっとしてまことを見上げる。まことは口走ってしまった言葉を戻そうと口に手をやるが、無論一度発された言葉が大人しく口に戻る訳もなく。 「お嬢ちゃん、何か言ったかい?」 体格の良い、さも腕っぷしの強そうな焼き芋売りの親父がジロリとまことを睨む。 「いや……、ちょっと中学生のお小遣いにはキビシイかなって……」 ちょっとまからない? と試しに顔の前で手を合わせてみる。 「だめだよ。ホラ、買うの? 買わないの?」 親父は軍手をはめた手をひらひらと揺らして、まことのお願いを跳ね返す。亜美は、いかにもカタギではなさそうに見える焼き芋販売員の中年男性とまことを見比べ、少し顔を青くする。 そんな亜美の心配もよそに、まことは尚も食い下がる。 「あ〜ん! じゃあさ。あたしと腕相撲してあたしが買ったらまけてよ。ね。それならいいでしょ?」 まことは少ししなを作るように身体をくねらせ、さもか弱い女子中学生を演じる。 ――まこちゃん……。 彼女の実力を知ってるとは言え、亜美は呆れつつも心配になってまことの制服の裾を引っ張る。するとようやく亜美の心情を察したまことは、しかしながら親父に提案した前言を撤回する代わりに亜美に向かってウィンクをひとつ。 「ま、まこちゃ……」 「大丈夫、大丈夫! おっちゃん、やるの? やらないの? まっさかこん〜なか弱い女の子相手に逃げたりしないよねぇ……?」 亜美が止めに入る間もなく、販売員はくたびれたスタジャンの袖をぐい、と捲り上げると、亜美の頭周り程あろうかという太い腕を突き出し宣言する。 「ほーう、おっもしれぇ事言ってくれるじゃねえか、お嬢ちゃん。手加減しねえから、覚悟しとけよ!」 そしてニヤリと、勝利を確信した笑みを浮かべる。更にこれ見よがしに、これまた太い指の関節を鳴らせる。 まことも掌に自らの拳を打ち付け、そして指の関節を高らかに鳴らせて、啖呵を切る。 「望むところだよ!」 ……目が本気だわ……。 彼女の表情だけ見ていたら、まさしく妖魔と対峙している時のジュピターそのもので、今にもシュープリームサンダーでも一発お見舞いしてくれそうだ。 「じゃ、亜美ちゃん、悪いけど鞄とコート預かっててよ」 ――声が普段のまことよりも 幾分低い。不謹慎ではあったが、亜美は少しどきりとしてしまう。――どうしてなのか、その理由は分からなかったが。 そんな亜美を他所に、まことはさっさとコートを脱ぎ、薄っぺらい鞄と共に亜美に手渡す。少し戸惑いながらそれらを受取り、亜美は呆気にとられたまま、男と、身長こそ高いが二回り以上体格差のあるまことが、今し方男が座っていた椅子に互いの右腕を差し出すのを眺めていた。 「亜美ちゃん、開始の合図お願いね」 まことがやる気のみなぎる細腕を突き出し、焼き芋売りの親父と手を組み合わせる。確かにまことの腕力は一般的な少女のそれとは比較にならない程であるが、多少骨太で筋肉質なものの、彼女の腕や身体(プロポーション)は決して筋骨隆々といった風体ではなく、果たして屈強そうには見えない。精々引き締まった身体(カラダ)、といった印象に過ぎない。ただ触ってみて始めて分かる。ちょっと拳を握っただけで、筋肉ががちがちに固まる。亜美も一度力こぶに触らせてもらった事があるがまるで石のようで、物珍しさもあって酷く驚いたものだった。 その時のまことは亜美の驚きに随分と照れていたものだが、そんな彼女の決して傲らない柔らかな人当たりも、屈強には見えない要因の1つとなっていて、目の前の販売員の男も、 対峙している少女が四方やそんな怪力の持ち主だとは思いもよらぬ事だろう。 ……でも。 流石に男はまことと体格が違い過ぎる。 亜美は徐々に不安が増していき、思わずまことを見つめる。 すると視線に気付いたまことが、自信に満ちた顔で亜美ににやりと微笑み掛けた。 ――亜美の頬が染まる。何故だかまことと目を合わせている事が出来なくなって、慌てた仕種で二人の手の上にひと回り小さな手を置く。 「じゃ、じゃあ行くわね。用意――」 「ちょ、ちょっと待ってよ、亜美ちゃん! 『用意どん』て、駆けっこやる訳じゃないんだからね。他に、レディー・ゴー、とかそういうので頼むよ」 「え?」 コケた肘を元に戻しながらまことが訂正してやると、言われて亜美は、確かに「格闘技」に不向きな掛け声(コール)だったと反省して、――こういう事に疎いとは言え、我ながら間が抜けているなと、更に頬を染める。そして、そうね、ごめんなさいと言って赤い顔で咳払いし、改めて、両者の手に手を乗せた。その手から二人の緊張が伝わる。 「READY――」 まことのそれとは違う発音の正しい、声。 「――GO!」 亜美がそう言い放った瞬間。 まさにその瞬間―― 男の重心の低い短躯が、 ごろんと転がった――。 まこと以外の、亜美も男自身も、何事が起ったのかを全く理解出来ずに、ただただ呆気に取られるばかりで。 勝負は正に一瞬。 柔よく豪を制す――とは言うは易いが、まことは腕力だけではなく、挑発に乗った相手の力んだ余力をいなして、タイミングを合わせて男の体躯を転がしたのだ。まことの強さは、腕力や体力だけに在らず、そういったセンスにこそある。 「よっしゃ――!」 まことはガッツポーズをし、次の瞬間にはまだ呆気に取られたままの亜美に飛びつくと、喜びを分かち合おうと小柄な身体をぎゅっと抱き締める。 「きゃ!」 しかし亜美の小さな悲鳴はまことの胸の中で掻き消えてしまう。こういったスキンシップに不慣れな事と、まことの腕の中、という事実にどうしようもなく照れてしまい硬直してしまう。 「ま、まこちゃ――」 「ああ、ごめん。荷物預けたままで――。ありがとう」 そういう事ではないのだけれど。 まことの身体が離れ、ひょい、と荷物を引き取られて、ほっとしたような残念なような……? ……何を考えているんだろう、私。 「どうだい? おっちゃん」 「か〜〜〜〜御見逸れしやした! あんた強えなあ。なんか格闘技でもやってんのかい?」 「まあ、ちょっとね」 まことが得意げににやりと笑うと、男も立ち上がりながら、にやりと笑う。 「よっしゃ、男に二言はねえぜ。持ってけドロボー、2本で500円だ!」 「もうひと越え!」 「か〜〜〜、しゃあねえ、持ってけドロボー2本で200円! これ以上はまからねえよ!」 「よっしゃ、買った!」 商談がまとまり、まことは振り向いて亜美にVサインを送る。 そんな彼女のやんちゃな勇姿がどこか可愛らしくで、亜美はくすりと微笑った。 ◆ ◆ 「あれ、亜美ちゃん、食べ切れない?」既に硬い根の先だけになった焼き芋の名残りを新聞紙に押し込みながら、ベンチで隣に座って焼き芋を口に運ぶ手の些か滞りがちな亜美の様子を察したまことが問いかける。 「う、ううん。大丈夫」 折角まことが苦労して(?)安く手に入れた焼き芋だ、お腹がいっぱいだからと残してはいけない。持ち帰って後で食べるという選択肢もあるが、それでも何だかまことに悪い気がして、頑張って口に運ぶ。 「いいよ、無理しないで。あたしも亜美ちゃん小食だから食べ切れないだろうな、って思ってたから」 「でも――」 「無理しないでよ。亜美ちゃんさえ良ければ、残り、あたしが食べてもいいし」 「え?」 まさかそう来るとは思ってもみなかった。 まことを見上げると、笑いながら、ちょっと亜美の顔を覗き込むように前屈みになって返事を待っている彼女と目が合って、どうしたものかと悩んでしまう。 「いや、亜美ちゃんが良ければなんだけど」 「でも、まこちゃんだって、お腹いっぱいじゃない?」 流石に丸まる1本食べているのだがら、気を使って無理して言ってくれているのではないかと思って、まことの表情を窺ってみる。 「いや、あの……全然大丈夫、っていうか、むしろまだ腹三分? くらい、とか?」 妙に照れながらそう言うまことの様子が可笑しくて、亜美はくすりと笑う。 「やだな。笑わないでよ」 「ごめんなさい。でも、なんだかまこちゃんって――」 「え? あたしが何?」 「…………」 思わず口走りそうになった言葉を、焼き芋の代わりに飲み込む。 「何?」 「……何でもないわ」 なんだか、微笑ましくて。 ――可愛くて。 「あ〜あ、どうせあたしは大食漢ですよ!」 すねたまことに慌てて弁明する。 「そ、そうじゃなくて! まこちゃんってとっても美味しそうに食べるから、すごく見てて気持ちがいいっていうか。まこちゃんが美味しそうに沢山食べている所を見ると、なんだか私も食事とかが楽しくなってくるから……」 「ああ……、って。そういうもん?」 まこととしては、単に料理する事や食事が好きなだけで。しかしそう言って貰えるなら、食べがいもあるというもので。 「ま、いいや。じゃあ、やっぱり亜美ちゃんがお腹いっぱいで残しちゃうって言うんなら、あたしが貰うよ。いいよね?」 「あ、でも……」 「お腹いっぱいなんだろ?」 「え、ええ……」 「…………どうしたの?」 まことには亜美が拒む理由が思い当たらない。首を捻り、まじまじと亜美を見つめる。 「あ、あの……私、直接口つけちゃってるから……」 ――ああ! 「なんだ、そんなこと? 焼き芋なんだから当たり前じゃないか。あたしは別に気にしないけど……」 「そ、そう?」 しかし、まことは気にしなくても、亜美としては非常になんだか気になるもので。 「ほら、気ぃ使わなくていいからさ」 言ってまことは焦れて亜美から焼き芋を取り上げてしまい、いざ口を付けようとする。 「あ!」 「――あ」 開きかけた口を閉じて、ふとまことが言う。 「あ、コレって間接キスだね〜」 のんきに言うまことと、瞬時に顔を赤くする亜美。 「…………?」 「…………」 「あ、でも、女の子同士だし、あんまり気にする事じゃないけどね〜」 「そ、そう、よね。じゃ、じゃあ、わ、悪いけど、た、食べて貰える?」 「うん…………」 「…………」 「…………亜美ちゃん」 「え?」 「じっと見ていられると、気になるんだけど……」 「あ、ごめんなさい!」 亜美はまことへと向けていた顔を咄嗟に正面へと向け直し、縮こまって身を硬くする。 まことはそんな亜美を見て小さな笑みをこぼすと、いざ焼き芋を食べようと口を大きく開ける。――と、確かに亜美の口を付けた痕跡があり、亜美の過剰な反応と相俟って、どうも変に意識してしまう。 ……亜美ちゃんって、スレてないっていうか、純情っていうか……、まあ、そこが亜美ちゃんの良い所なんだろうけど。 か、間接キスかぁ……。 いや、女の子同士なんだから気にしない気にしない。 思い切ってまことは、まだほんのりと温かい焼き芋に口を付ける。 「あ〜、ンまい!」 石焼き芋は、甘くてホクホクして本当に美味しくて、1個半どころか、もっとイケそうだ。 「石焼き芋ってなんでこんなに美味しいんだろ。いくつでも食べられちゃうよ」 「ま、まこちゃんたら……。――でも、今食べたお芋とっても美味しかったわ。まこちゃんのお陰ね」 まだ照れたままの亜美が、どことなくまことと視線を合わせるのを躊躇いながら、視線を彷徨わせて言う。はにかんだ笑みもまだ少しぎこちなくて。 ……う〜ん。 まことは口の中の焼き芋を飲み下すと、左手で頬を掻く。自分まで、頬が熱い。思わず手の中の焼き芋を見つめていると、徐に亜美が話し出した。 「あのね、石焼き芋っていうのは薩摩芋の中のアミノラーゼという酵素のはたきによって、デンプンが分解されて甘味が増すんですって。しかも石焼き芋は、焼かれた石の遠赤外線効果でじっくりと過熱されるから、普通に焼くより旨味が増すらしいの。だから美味しいのね」 そんな事を話すと、まことはへえ、と感心して亜美の話にうんうんと頷く。 「そっかぁ。だから美味しいんだね。……あ、でもきっとそれだけじゃないよ」 「え?」 「ホラ、石焼き芋って一人で食べるんじゃなくて、こうやって二人でとか皆で食べたりするじゃない? だから美味しいんだよ。――ね!」 そう言ってにっこり微笑むまことを見て、またしても亜美の頬が染まる。 「……そうね。きっとそうだわ。それに……、今日のお芋はまこちゃんが頑張って買ってくれたお芋だから、きっと……もっと美味しいんだわ」 「あはは。おっちゃんには悪い事しちゃったけどね。あ。ねえ、亜美ちゃん。―折角だから、最後のひと口、食べる?」 不意にこちらに差し向けられ、まことの食べかけた焼き芋を見つめる。 「あ…………」 ……胃には、なんとか納まると思う。 折角まことが買ってくれた焼き芋なのだから、出来る事なら食べたい。 …………。 ま、まこちゃんの食べた……お芋。 「……やっぱりお腹いっぱい?」 「あの……」 「いいの? 食べちゃうよ?」 「あ、じゃ、じゃあ――」 「はい」 口元に差し出される、まだ温もりの残る焼き芋。――まこちゃんの手から食べろって事なのかしら? 「じゃ、じゃあ、……いただきます」 「はい」 緊張しながら、殆ど恐る恐るといった体で身体をまことに近付け、焼き芋に口を付ける。……甘い。甘くて美味しい。 「ん……美味しい、です」 「はい。ごちそうさま!」 「ご、ごちそうひゃま」 「へへ〜。これで亜美ちゃんもあたしと間接キス〜〜」 「!」 思わず吹き出してしまいそうになる口を押さえて、まことから思いっきり身体を離す。 「〜〜〜〜〜〜!」 亜美は咽せて涙目になりながら、なんとか口の中の物を飲み下そうと、一人慌てふためる。 まことも、背を向けて丸まる彼女の咳き込む背を慌てて撫でてやるが、予想以上の反応に、ごめんごめんと謝りながらもたまらず肩を揺らして笑い出してしまった。 「も――、ホントごめん! まさかそんなに嫌がるとは思ってなかったからさ」 「い、嫌だった、訳じゃなく、て、び、びっくり、して……」 「うん、ごめん。や……でも亜美ちゃん面白いよ! すごく新鮮! あ〜可愛い〜亜美ちゃん!」 まことは肩を震わせながら亜美の背に顔を押し付けて、肩をばしばしと叩く。 亜美はまだ咳き込みながら、すっかり染め上がってしまった赤い顔を上げる事も出来なかった。彼女の言葉の所為で。――耳まで赤くなってしまって。 か、可愛いって……。 何気ない言葉だとは分かっていても、それでも――。 ……それでも? ただ、背に触れたまことの体温が、とても温かかった。 fin. |
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