昼下がりのTer Break. |
「あの……」 そう言ったきり言葉に詰まり、玄関の前で立ち尽くす少女を見て、まこともまた一瞬言葉を失った。たった今自ら押し開いた玄関のドアノブに手を掛けたまま、小柄な少女の緊張が伝染したのか、言葉が出て来ない。 こくりと生唾を飲んでようやく、やあ、と言った。 「いらっしゃい……、亜美ちゃん」 ★ 10分程前までは緊張している素振りなんて見せずに、普段通り接しようと強く心に決めていたのに、その誓いもいざ玄関を開いた瞬間にあっさりと崩れ去った。——だって亜美ちゃんが緊張しまくってるんだもん! 誰に対する言い訳なのか、まことは心の中で叫んで、そして懸命に笑顔を繕った。 「ほ、ほら。そんなとこに突っ立ってないで、上がりなよ」 「え、ええ。……お、……お邪魔、します……」 言葉尻はすっかりしぼんでいる。 そんな彼女の姿を見て、まこともぎこちない笑顔で、——でもやはり真っ赤な顔をしてようやく彼女を迎え入れた。 ★ ★ 「あのさ、新しいフレーバーティー買ってみたんだけど……どうかな?」そう言ってまことはローテーブルに腰を降ろした亜美にティーカップを差し出した。——精一杯平静を装いながら。クッションの位置を気にする彼女を見ているだけで、少し不思議な気がした。以前とは何も変わらない筈なのに。 見ると亜美もまた少し緊張した面持ちで、いつもとは違いおずおずとカップに口をつける。 「どうかな?」 不安気に問いかけ、運んできたトレーを手にしたまままことは立ち尽くす。別に紅茶の出来を不安に感じているのではないし、いつも通り亜美の側に腰を降ろしたらいいのだが、——躊躇われる。 やがて亜美が思い当たる紅茶の名を口にした。 「多分、ブルーベリー……かしら。でも……?」 だがそれだけではない気がして、無意識に小さく首を傾げた。その仕種がまことの頬を綻ばせる。 「そう、分かった? さすが亜美ちゃん! あのさ、いつものお店じゃなくて、ちょっと遠出した所に新しいお店見つけたんだ。同じブルーベリーでも少し風味が違うだろ? カシスが入ってるんだ。……どうかな? 亜美ちゃんの口に合うかな?」 言われて亜美は改めてカップに口にをつけ、じっくりと紅茶を味わう。 「そうね、いつものよりも少しクセがあるみたいだけど、でも全然嫌なクセじゃないわね。……美味しい……」 「ホント? 良かったあ」 まことはほう、と息をつき、にっこりと笑みを浮かべつつ、ようやく亜美の隣に腰を降ろした。ティーセットを運ぶのに使ったトレーを膝の上で玩ぶ。 「あたしはこういうクセのあるお茶、好きだろ? テイスティングして、もう一目惚れっていうか、一口惚れ? しちゃってさ。あ、でもさ亜美ちゃんは割りとあっさりしたのが好きだろ? だから買おうかどうかすっごく迷ったんだけどさ。思わず買っちゃった」 えへへ、とイタズラをした子供のようにまことが微笑むのを見て、そんな彼女らしい無邪気な笑顔に、亜美の胸の深い部分がきゅ、と締め付けられた。名前を呼ばれるそれだけで、穏やかな気持ちのままでいられない。 「そんな。まこちゃんが飲むんだからまこちゃんが好きなのを買ったらいいでしょ?」 そして、そう言いながら、締め付けられた胸が、少し、痛かった。 ——でも。 それは、かつて味わったような切なくて心が切れるような痛みとは違い、痛くても、全然違う痛みで、でもやっぱり胸が痛くて。痛くて。痛くて。 ——でも。 見上げた視線の先に、何よりも誰よりも大事なひとがいるという事がただただどうしようもなく嬉しかった。嬉しい気持ちが痛いだなんて。こんな痛みがあるなんてかつての自分は知らずにいたというのに。 彼女の隣にいるだけで、知らなかった自分を見付けられた。——毎日少しずつ、こんな風に。少しずつ。彼女との距離が変化して、今この瞬間ですら今までとは何かが違うような気がした。 けれど——、やはり、腰を下ろした彼女との間に、トモダチとコイビトの見えない境界線があるようで。 まことが少し身じろぎして、距離が縮まったような気がした。そんな、何気なく床につかれた手の位置すら気になってしまうくせに、どうにも出来なくて。 「あー、でもさ、やっぱり亜美ちゃんと飲みたくてさ。ほら、紅茶の詳しい話出来るのって亜美ちゃんくらいだろ?」 手の位置だとか腰を下ろす距離だとか、そんな事ちっとも気に掛けていなさそうなあっけらかんとした声音に少しじれったくなる。けれど。それなのに。 「そりゃ、あたしと亜美ちゃんとはちょっと好みが違うけどさ。でも、一緒に飲む人の事考えながらお店ぶらつくのも楽しいじゃない? 亜美ちゃん、どういうのが好きだったなーとか考えたりしてさ。ああ、それになんか、気が付くと亜美ちゃんが好きそうなのばっかり選んじゃ……って?」 そこまで言ってまことは不意に口を噤んだ。——不意に亜美が視線を逸らすから。 「え……」 俯いた亜美の耳が真っ赤で。 「あれ? 亜美ちゃん……どうか、した?」 「あの、べ、別になんでもないの。ただ……ちょっと……」 ん? とまことは首を傾げる。 そして手持ち無沙汰な指で頬を掻き、ちょっと反芻してみて——不意に思い当たった理由にまこと自身も頬を染めた。さっきから何度、亜美ちゃん亜美ちゃんと繰り返しただろう。 「あ、あたし……」 あはは、なんて笑って誤魔化してトレーで頭を叩く振りをする。 でも亜美は顔を上げない。 ——ああもう、いい雰囲気だったのに、また緊張してきて……。 小さな沈黙がまた、訪れた。 ★ ★ ★ そう、一週間前に、ついに想いが通じて——。 でも互いに想いを告白し合ったはいいが、かえって意識し過ぎて、二人きりになるとどうしていいか分からなくなってしまう。教室にいるときはまだいい。うさぎや美奈子やクラスメート達の視線もあるから、いつも通り『友達』として接する事も出来る。 でも、学校帰りに二人きりになってしまった時や、皆で火川神社で待ち合わせをして、二人だけ早く来過ぎてしまって肝心のレイもまだ帰宅していない時など、普段通りの会話が出来なくなってしまって。 それは亜美とて同じなのだろうと思う。 だからこんなふうにぎこちなくなって、沈黙が多くなってしまうのだ。 『トモダチ同士』 『コイビト同士』 その二つの違いが今は嬉しいような、恥ずかしいような。二つの明確な違いなんて分からなくて思ったよりも難しくて。今迄好きになった人は皆男の人で、好きなったら何も迷う事なんてなかったし、境界線だとかそんなもの気にもしなかった。だから今はこの微妙な境界線が、少しくすぐったくて。 けれどこんな風に、今感じているような——嬉しいのに嬉しすぎて気持ちを持て余してしまいそうになる甘い緊張感すらやっぱり嬉しかったのだけれど、それでもこんな風に黙っているだけなんてやっぱり勿体なくて。——座り直す振りをしてちょっと彼女との距離を縮めた。 「亜美ちゃん」 「え……」 名を呼ぶと彼女が少し赤くなった顔を上げ、しばし互いの視線が合う。 でも視線が合ったのは一瞬の事で、また直ぐに彼女は俯いてしまった。 ★ ★ ★ ★ ——いけない、とは思うが、どうにも出来なかった。亜美はテーブルの下の膝の上でぎゅっと握りこぶしを作ると、精一杯頭を働かせて次の言葉を探したが、浮かんでくる言葉は「どうしよう」なんてどうにもならない五文字だけで。 自分にこんなに意気地がないなんて知らなかった。今までなんでも自分一人でやってきた。学校でも塾でも、家庭でも。独りきりでも寂しいなんて言わず、頑張ってお勉強してママを安心させて。自慢の子供でいようと頑張って。 だから私は強くなった。強いはずだった。 それなのに。 ——こんな小さな勇気も出せないなんて。 ただ顔を上げて普段通り会話するだけなのに、それがこんなに難しいなんて。 二人きり。 そんな言葉が全身を強ばらせる。 暖かくて優しくて、でも胸が締め付けられるような気持ち。会いたいとか、いつまでも一緒にいたいとか、それから……、 その手に——触れたいだとか。 思わずまことの指の長いしなやかな手を見る。——私よりも大きな手。 その手の感触を思うだけで胸の中心がきゅう、っと締めつけられる。 ティーカップを両手で持ち、カップの縁を手持ち無沙汰な指でなぞる。そうしながら亜美は、ほんの少しだけ視線を上げ、まことを見上げた。 柔らかな髪が視界に入り、その瞬間にもう視線を下げてしまう。 どうしよう。 やっぱり緊張してしまう。 二度三度とそんな事を繰り返していた時、再びまことが口を開いた。 「あの……さ、亜美、ちゃん」 ぴくりと肩が震える。 「なんかさ、いつもと違ってなんだか緊張しちゃうね」 はは、と少し照れた笑い声が降って来る。やっぱり彼女も緊張しているのだと知って、ほんの少し安心したような、ほんの少し不安になるような。 「学校だとさ、普通に出来るのに、なんか二人っきりだと変に意識しちゃわない?」 「そ、そうね……。ごめんなさい、私——」 なんて言いながら、やっぱり視線はまことから少し外れた所を彷徨って、ティーカップを握り直した。 「そうだ、紅茶飲んでよ。冷めちゃう前にさ」 ——ね。 まことが気遣わしげに微笑むと、それに背中を押されるように亜美はこくりと頷いた。そうだ。紅茶を飲んで気持ちを落ち着けよう。 「そうね」 ——呟いてティーカップを持ち上げようとした時。 「でも、その前に——、いいかな」 「え?」 まことの声に顔を上げると、少し視界が陰ったと思った。 瞬間、唇に柔らかなものが触れた。 「え?」 「…………」 するりとまことの顔が離れた。 その瞬間に——ようやくキスをされたのだと気が付いた。 「え…………」 「……しちゃった。キ……」 「え!?」 まことが言い終えないうちに亜美が裏返った声を上げ、まことは照れたような笑みを浮かべた。亜美は両手で口を押さえようとして、はたと、唇に触れてしまうのがいけないような——勿体無いような——気がして、瞬時に手を止めた。 「ごめん、びっくりした?」 「いえ……あの……!」 「でも、したくなっちゃったから……さ」 そう呟いた声はやっぱりどことなくあっけらかんとしていて。 視線を上げて驚いた。 彼女の顔が真っ赤な事に。 まことの手がするりと伸びて来る。テーブルの下で手を握られ、その時なんだか妙に——実感した。 ——彼女との、新しい関係を。 境界線なんて、彼女がすんなり飛び越えてくれた。……私の手をひいて。 fin. |
あとがき |
☆この作品は2006年8月13日のコミケで出したコピー本でした。その時のあとがきです。 ★なんでか付き合い出したばかりの二人ばっかりを書いてしまいます(笑) ★そのくらいの頃のあわ〜い感じの二人が好きなんです。 ★それにしてもまこ亜美を書いていると、自分が何を書きたいのかよくよく分かって来ます。なんというか、書きたいと思うものだけを素直に書いているので、自分の好みが分かって来るんですよね(笑) ★やっぱり私が書きたいのは、こういうほのぼのした作品なんだなあ、と思います。 ★皆様が「昼下がりのTea Break.」を読んで、ほっと一息つけますように。 |