ありったけの笑顔で |
6. *精一杯の勇気*
日差しが眩しい。 ほのかはパジャマのまま雨戸を開けると、刺すような早朝の光に目を細めた。 どこかでスズメが鳴いている。そちらの方に視線をやると、愛犬の忠太郎が金色の毛並みをなびかせ朝の運動とばかりに庭を走り回っていた。 「おはよ、忠太郎!」 ほのかが声を掛けると、ひと鳴きし、不意にどこかへ走り去って行く。長い尾をそよがせ直ぐに庭木に隠れて見えなるが、残りの雨戸を開ける内ひらりとまた舞い戻って来た。ところが母屋の方へ続く通り道を振り返って二度三度と鳴くので、注意しようとしたその時、つつじの葉の向こうに人影を見つけて、はっと息を飲んだ。 「なぎさっ!?」 よく繁った緑の葉の向こう、はにかんだ笑みを浮かべた親友がそこにいた。 「いきなりごめんね、ほのか。今起きたとこ?」 「うん……。ってどうしたの、こんなに朝早く。まだ7時よ?」 寝坊が特技のなぎさの事、信じられなくて思わず部屋の壁掛け時計を確かめた。 「ほのかまでなによ、私がちょっと早起きしたくらいでそんなに驚いちゃって。メップルなんか散々イヤミ言った後また寝ちゃうし!」 「うん……、でもどうしたの?」 流石に普段の彼女を知っているだけにこれは驚かずにはいられない。おまけに寝食を共にしているメップルの事、ほのか以上に驚くのも無理はない。 ――だからってメップルも言い過ぎちゃうから喧嘩になるんだけど。 「何か言った?」 「――う、ううん、なんでもない。それより何かあった?」 触らぬ神にたたりなし、とばかりにほのかが笑みを浮かべると、メップルへの怒りもどこへやら、なぎさも満面の笑顔を浮かべた。 「ね、ほのか今日空いてる? ちょっと付き合って欲しい所があるんだけど」 見えないしっぽを振って、縁側に上体だけ乗り上がるなぎさ。まるで仔犬のようだ。顔にはとっておきのトピックスがあると書いてある。 「空いてるけど……。こんなに朝早く?」 「うん! じゃあそうと決まったらお膳は急げ! 着替えて着替えて!」 「善は急げ、でしょ?」 「そうだっけ? 細かい事気にしない気にしない!」 「もう! じゃあ直ぐに支度するね」 呆れて溜め息をこぼしつつも速足で自室に駆け込むと、ほのかは準備をし始めた。その背を見てなぎさは満足そうに頷くと、足元でじゃれつく忠太郎に手を差し伸べた。 「よっしゃ忠太郎、ほのかが着替えるまで遊ぼ!」 「じゃあいい? いっくよー!」 ほのかがサドルに跨がりいいよ、と声を掛けると、なぎさが勢いよく自転車のペダルを漕ぎ出す。続いてほのかも自らの自転車のペダルを漕ぎ出した。 住宅街を駆け抜ける早春の風が心地よい。春休みも残す所あと一日となり明日からは高校生かと思うと、ほのかは少し感慨深く沿道の桜を見上げた。 それに気づいたなぎさも桜を見上げる。その横顔をちらりと盗み見すると、さらさらと風に髪をなびかせ気持ち良さそうに深呼吸する姿に、自然と清々しい気持ちにさせられた。つられるようにほのかも肺にいっぱいの空気を吸い込んだ。 「気持ちいいね!」 「うん!」 どこへ行くつもりかまだ分からないけれど、なぎさが誘ってくれて良かったと思った。 あれ以来、互いに意識すまいと思いつつもどこか気まずい空気があるような気がしていた。勿論友情に変化があったわけではない。互いに強い絆を感じていたし心の底から信頼し合っていた。ただ時々、二人きりになった時など、何か言わねば、と敢えて思うことがあった。 道の先を行くなぎさの背はいつもと変わらない。 それが今はただ嬉しかった。 どこへ向かっているのか。――それを聞こうとして、やめた。彼女が行きたいと、連れて行きたいと思っている場所なら聞く必要なんてなかった。 自転車を土手の上のちょっとした空き地に止めて、河原を見下ろす。まだ人気の少ない朝の河原に吹く風は、川面を撫でる冷気をはらみ、すっと背筋を伸ばしてくれる。 「気持ちいい!」 幾度となく見て来た場所なのに、朝の日差しの中で――少しずつ違った表情を見せてくれる。 「ひゃー。つっかれたあ!」 なぎさは早々に土手の草の上に四肢を放り出して寝転ぶと、ぎゅっと身体を伸ばした。 ほのかはそんな姿を見てくすりと微笑むと、つられるように立ったまま伸びをした。 見慣れた河川敷。 遠くに電車を渡す架橋が見え、草のにおいと、力強く流れる水音。少し離れた所ではしゃぐ小さな小さなパートナーたち。 どうしてとは聞かなかった。どうして電車ではなく自転車なのか、どうして《ここ》なのか。 ふたりでいるだけで、分かるような気がしたから。 「明日から高等部かぁ」 「なんだか、こんなに平和なのがちょっぴり不思議」 隣に腰を降ろしながらそう言うと、なぎさが頭の後ろで腕を組んで、小さく息を吐くのが気配で分かった。 「色んな事があったもんね。ここでバルデスと戦ったり、キリヤくんと別れたり……。それにケンカもしたし」 「――うん。それに――」 「仲直りもね」 風が髪をさらう。なぎさの短い柔らかな髪も、ほのかの真っ直ぐに伸びた髪も。 互いにくすりと笑い合った。《あの日》の喧嘩があったからこそ、こんなにも信頼し合えるようになったのだと思う。 「ねえ、ほのかも寝転がってみなよ。気持ちいいよ」 言われて、スカートの裾を気にしながら素直に寝転ぶ。 「ホント。気持ちいい!」 草いきれが鼻先をくすぐり、そして目の前に青空が広がる。 「ね!」 「うん!」 広がる空と緑の葉しか見えない。 風の音が近く、水音は少し遠い。 やがて。 なぎさが切り出した。 穏やかな声で、彼女らしくたどたどしく、それでも賢明に気持ちを打ち明けてくれる。 「あのさ。自分自身の事なのにまだ良くわからないんだ。ほのかの事も、藤P先輩の事も……」 「うん……」 それは、分かってる。 ――痛い程に。分かるから、これ以上何も望むものはなかった。 一緒にいて、一緒に笑い合って、たまには喧嘩もして、そうする事で自分が満たされていたから、それだけでいいと素直に思えるから。 そう思わせてくれるから。 ――なぎさが。 「なぎさ、ありがと」 不意に手が重ねられた。 驚いて隣を見るが、草に隠れて表情は分からない。 ただ、声はとても穏やかだった。 「……ほのかと出会ってプリキュアになって。色んな時間、ほのかと一緒に過ごして、本当に色んな事……。ほのかとだから乗り越えられたと思う。ほのかとだから……。うまく言えないけど」 「うん」 「もうプリキュアに変身する事もないけど、私たちはこれからも色んな事して、色んな毎日を一緒に過ごせる筈だから……。だから……」 ぎゅ、と――手を握り返す。 「うん。ありがと、なぎさ」 そう。 毎日新しい朝が来て、私たちは進んで行く。これからも、ずっと……。 ――そう思った時。 突然なぎさが起き上がり、名を呼ばれた。 「ほのか!」 「え?」 そして視界が遮られた。一瞬遅れてなぎさが覆いかぶさって来たのだと分かる。目の前になぎさの顔があり、そして直ぐに勢いよく離れた。 「――――」 「とりあえずは、これが私の精一杯の勇気だから!」 「なぎ……」 赤い顔でにいっと笑うなぎさ。 ほのかは呆気に取られてきょとんとした表情を浮かべる。そして次の瞬間、顔を真っ赤にして頬を押さえる。 なぎさの唇が当てられた右の頬が熱い。 「なぎさ……」 頬だけではない。顔全体が熱い。 ぎゅ、と握った手に反射的に力を込めるほのか。その手を握り返されて我に返った。 改めてなぎさの顔を見ると、自分に負けず劣らず猛烈に赤い。 それを見て、自分の中で意固地になって積み上げていた壁が崩れて行くのが分かった。《このままでいいのだ》と思い込んでいて、勝手に納得したつもりになって。 でも本当はそうじゃなくて。 出来るならもっとなぎさの近くにいたかった。 「なぎさ! ありがと!」 「わ、ちょっとほのか!」 ――無理に壁なんて作る事なくて。自分らしくいればいい。 彼女がしてくれたように。気持ちを飾らず素直に告げればいい。 こんな風に抱きついたっていい。それが、私だから。 ――私たちだから。 「ちょっとほのか、あぶな――」 「きゃあ!」 抱きつかれた拍子にバランスを崩したなぎさが、ほのかを支え切れずにふたりして傾斜のゆるい土手を転がり落ちた。 「何やってるメポ」 「ふふ。でも楽しそうミポ」 河原でじゃれ合っていたメップルとミップルがふたりを見上げて、溜め息をこぼす。 大した怪我もなく、転がった姿勢のままふたりは大笑いした。 青空から降り注ぐ太陽が眩しい。目を細めて互いの顔を見ただけで、また笑いがこぼれた。 そう。 私たちは、 これから――。 END |
あとがき |
★実はなぎほの同人誌「FLAGS」に入れる筈の小説でした。ですが、初のプリキュア本にしたらあまりにも鬱々とした展開だろう……という事で、同人誌用には新たに書き起こした新作を載せ、こちらの「ありったけの笑顔で」はちょっとの間PCの肥やしになってもらっていました。 ★なんか、初のなぎほのだったので、とにかくくっつくまでのお話をじっくり書こう! と思っていたのですが、藤Pうんぬんを持ち出したらえらい鬱展開に。 ★ほのかは多分、藤Pに対しては友情としての好意もあるし彼を嫌いにはならないのだろうけど、やっぱり嫉妬もあるだろうし、そういう部分を引かずに書こうと思ったらえらい事になってしまいました。正直なところ、若干消化不良な感も否めませんね。 ★ただそれでも書きたい部分が書けたので良いかな? とも思います(笑) |
Saku Takano ::: Since September 2003 |