さくらんぼ
―Scene 1―


「今日のおやつは、さくらんぼでーす!」
 まことが嬉しそうに白いビニール袋をテーブルの上に置いた。薄らと透ける袋越しに、赤い小さな粒のシルエットが見隠れしている。
「後で火川神社で皆で食べようと思ってさ。ちょっと高かったけどいっぱい買っちゃった」
「……わぁ、とってもおいしそう!」
 亜美が袋の中を覗くと、さくらんぼが包まれたパックが2パック並んでいた。お勉強の知識とは違い、食料品などの物価には少々疎い亜美でも、さくらんぼが余りお安くないのは何となく分かる。
「高かったんじゃない……?」
 思わず彼女のお財布の心配をしてまことを見上げると、まことは、バレたか、と舌を出して、ほんの少し気まずそうに言った。
 言えば真面目で心配性な亜美の事だから、少し叱られてしまうかもとは思ったが、彼女に対しては素直に白状してしまう。
「あー……実は高かったんだ。でもさ、スーパーで見てたら、ど〜〜しても皆で食べたくなっちゃってさ〜。ごめん!」
「もう……! 私に謝ったって意味ないでしょ」
 亜美は小さな溜息をつきながら、小さい子供を叱るように「めッ」と言う。
 でもそうやってまことを冗談めかして諌めながらも、亜美はまことらしいなと頬を緩めてしまう。
 一人暮らしなのだから、余り無理をして勉強会用のおやつを準備してもらうのは悪いな、と常々亜美も、うさぎやレイや美奈子も思っていた。――果物を買ってきてくれたり、お菓子を手作りしたり、自分の為ではなく皆の事を思っておやつをせっせと準備するまことは、無理をしているのではなくて純粋に彼女の厚意なのだとは分かるのだが、出来ればまことにばかり負担は掛けたくなかった。一応はおやつは各自の任意で、とは暗黙の了解となってはいたが、いつの間にか世話好きなまことにばかり比重がかかってしまうのだった。せめて材料くらいは皆で負担しようかと相談もしていたのだが、いつもまことに断られてしまう。
 彼女も亜美たちが多少なりとも気を揉んでいるのを分かってはいた。でも気付くと色々と手を尽くしてしまっているのだ。今日だって、スーパーのさくらんぼのコーナーの前で散々悩んだものだが、気付くと「皆で美味しく食べたい」という誘惑に負けていた。亜美の心配する顔も何度も瞼にチラついたが、幻影には手を合わせてごめんなさいして、レジに向かっていた。
 確かに懐は寒くはなったが、その分、節電節水を心掛けよう。――うん。
 そんな事で自分を誤魔化しながら、徐にさくらんぼの入った袋に手を入れる。
「ね、ちょっとだけ、味見しちゃおうよ」
「……いいの? 気付いたらきっとうさぎちゃん悔しがるわよ?」
「いいって。2、3個食べたって、均(なら)しておけばわかんないって」
 そう言って子供のようにいたずらっぽい笑みを浮かべながらまことは、丁寧にラップを外し、5、6粒程取り上げてシンクへと向かう。
「流し借りるよ〜」
「ええ」
 ――2、3個って言ったのに……。
 亜美は、陽気にステップを踏む彼女にくすりと笑みをこぼした。
 水野家の広いキッチンをまことは甚く気に入ってくれている。いつもキッチンに立つのを楽しんでくれているようだ。制服の袖を捲り上げ、楽し気にさくらんぼの粒を洗い流す。そして勝手知ったる――といった慣れた仕種でペーパータオルを取り上げ小さな粒の滴を拭き取った。
「はい」
「ありがとう」
 手渡された真っ赤な粒は適度な弾力を保っていて、見るからに新鮮で、美味しそうだった。
 まことは茎が付いたまま粒を口の中に放り込んでいたが、亜美は茎を取ってからそれを口の中に含んだ。
 粒が弾けて甘い果汁が口の中いっぱいに広がる。
「おいしい!」
 二人同時に言って、お互い顔を見合わせて笑った。
「甘くて美味しいねぇ。こりゃ勉強会の後が楽しみだ!」
「皆喜ぶわね」
 くすくすと笑って、もうひと粒口の中へ放り込む。
 ――と、その時、思い出したようにまことが言った。
「ねえ、亜美ちゃん。さくらんぼの茎、口の中で結べる?」
「え?」
「舌でさ。……出来る?」
 まことは摘んだ茎をくるりと回す。
 ちょっと考えもつかない事を問われて亜美は小さく首を傾げた。
「やった事ないけど……」
「ない? へ〜、あたしなんかよくそれで遊んだけど」
 ――ちょっと待ってて、と言い残してまことはもぐもぐと口を動かした。
 亜美はさくらんぼの甘い味を楽しみながら、まことを待っていると……。
「ホラ。出来た」
 1分程して、まことがぺろりと舌を出した。その舌の上には見事結び目が結われたさくらんぼの茎が乗っている。
「――すごい! そんな事出来るの?」
 亜美は純粋に驚いて、まことの隠された特技に感心してしまった。――すごい。
 まことが自分の手の上に置いた茎をまじまじと見て、まるで新種の果物でも発見したかのように真剣に茎に見入った。
「ね、やってみてよ。結構難しいよ」
 促されて手の中に残されていた茎を1本、口に含んでみる。舌で捏ね繰り回してみるが、どうもうまくいかない。
 取り敢えず結べるように茎を丸く曲げてみようとするが、すぐに反発して元に戻ってしまう。思い通りにいかなくてムキになって、もぐもぐと口を動かしていると、まことと視線があって、彼女に笑われてしまった。
「亜美ちゃん、鼻の下が伸びてて変な顔」
「!」
 慌てて手で口元を覆うが、まことにがっちりと腕を握られ、敢え無くその腕を降ろされてしまう。
「いいって、どうせあたししか見てないんだし。それに可愛い可愛い!」
「そんな事言って!」
「ホラ、続けて続けて!」
「も――う!」
 わざと少し睨むようにまことを見上げて、また口を動かし始める。
 確かに難しい。……よくまこちゃんはこんな事出来るわね、と思った途端、まことがまたひとつ結び目を作ってみせた。
 ……全くこういう事だけは妙に器用なんだから。
「――出来そう?」
「……もう、少し……」
 なんとか丸くは出来たが、茎の端が輪の中をくぐり抜けてくれない。尚も舌と口全体を使って茎をいじり回す。
 二つ結び目を作ると自分はもう飽きたのか、まことは亜美が出来るのを待って、ソファーに腰を下ろした。亜美もつられるように、まことの隣に腰を下ろす。
 まことは自分の膝に肘を乗せ、前屈みになって横から亜美の顔を覗き込みながら、何を思っているのか口の端に小さな笑みを浮かべた。
 何だろうと思いつつも口の方に意識を集中させ、もう一息……と頑張って、それから更に1分程奮闘してようやく結び目を作る事に成功した。
 ――できた!
「あ! 出来た?」
 その様子をじっと見ていたまことが、察して瞳を輝かせて問いかける。
「ええ」
 亜美は一瞬躊躇してから、はしたないかしら、と思いながらも、まことがしてみせたように舌をぺろりと出した。
「お〜〜、出来てる出来てる!」
 亜美はそれを自分の手の上に置いてみて、本当に結び目が出来ているのを見て思わず嬉しくなってしまった。子供じみた遊びではあるけれど、なんだか楽しくて、たまにはこういう遊びもいいかしら、とくすりと笑ってみせた。
 するとまことがその茎を取り上げて、目の高さに上げくるりと回すと、してやったり、といった顔をして得意げに言ってみせた。
「コレが出来ると、キスが上手なんだって。――試してみようか?」
「えぇッ!?」
 ――だまされた。
 思わずそう思う。
 何を騙された訳でもないのに、彼女がしてやったり、と頬を緩めるものだから思わずそう思わずにはいられなかった。
 まことが座ったまま少しこちらににじり寄る。その分亜美は反射的に上半身を引いてしまう。
「ああン! 逃げないでよ! ――実験実験!」
 そう言ってまことが腰を屈めたまま、下から顔を覗き込んで来るものだから、変に意識して顔を紅潮させてしまう。
「そんな……ッ。だ、だめよ。そ、そんな事……」
「どうして? いいじゃないか。――ね、お願い」
 わざと甘えるように囁きかけるまこと。
 彼女の懇願する子供のような瞳に負けそうになるが、うんとは言えない。
「だめ……よ。イヤ……」
「お願いだよ。一度だけでいいから、ね? 亜美ちゃん……」
「…………」
「ね、お願い」
 不意に亜美が視線を逸らし、躊躇いがちに何かぼそぼそと言った。
「…………きっと……」
「ん?」
「……――――」
「なあに?」
 まことがもう一度顔を覗き込むと、亜美はゆっくりとまことへと顔を向け、恥ずかしそうに小さな声で言った。
「きっと……上手じゃないわよ……」
「亜――」
「どんな風にすればいいか、分からないもの……」
 そして再び顔を背けてしまう。
 まことは予想以上に照れる亜美を見て、彼女のそんなしおらしい反応に逆に胸を踊らせてしまう自分に呆れると同時に、そんな彼女をとても可愛いと――、無性に愛おしく感じた。
 無性に。――彼女を好きになって良かったと思う。
「亜美ちゃん……」
 まことは亜美の手を取り、確りと握りしめる。
「いつもの通りでいいんだよ。――気持ちを込めて、……キス、してくれれば」
 ――ね、と微笑みかける。……にやにやしないように気を付けながら。
 すると亜美が、躊躇いがちではあったが、ゆっくりこくりと頷いた。
 おずおずと視線を上げる。
 一度何気なく唇をなめて気持ちを落ち着けると、少し首を傾げまことの為に僅かに顎を上向けた。
 まことはそっと瞳を閉じ、亜美を、待つ。
 目を閉じていても亜美が重心をこちらへ傾けるのが分かった。
 やがて、唇が触れた。
 躊躇いがちに亜美の唇が開かれるのが分かる。
 まことは亜美の唇を感じながら、こんなにも大切に、緊張しながら、キスを味わった事なんてなかったな、と思った。彼女との初めてのキスの時ですら、ただ夢中でキスに感じ入る暇などなかったから。
 亜美はゆっくりと舌を差し入れつつ、本当にどうしたらいいか分からずに、思わずまことと繋いでいる手に力を込めた。
 まことがいつもしてくれているようにそれを真似しようと彼女とのキスを思い返すが、そうしながら、自分はいつも彼女に任せっきりで受け身でばかりいた事に気付かされた。――ちょっと、反省。
 でもだからといって今直ぐ彼女のように出来るかと言えば、それは到底無理な事だった。
 とにかくまことの言った通り、気持ちを込めてキスをした。
 まことの事を思って。想って――。
 上手かどうかなんて分からないけれど、まこちゃんが好きだという気持ちをいっぱいに込めて……。
 キスをした。

To be continued.


続き。さらにラブラブ度UP…なので、お気を付け下さい。for ヤングアダルツ(笑)
じうはち禁ではございませんが…↓

★Scene 2★








POSTSCRIPT
あとがき
★ほのぼのはどこいった〜〜〜〜!
★ほ、ほのぼのはどこ!? どこなの!? ぎゃわ〜〜。どんどんほのぼのまこ亜美から離れていく〜〜〜!
★むーんひーりんぐぅえっすかれーしょーーーん!! ぎゃ! エスカレート違い! 最近どーもまこ亜美妄想がエスカートしていってしまってて、マズイですよ。う〜ん、ほのぼのが書きたい(筈)なのに〜(死)希望は無謀。

★あ、ちなみに。さくらんぼが旬なので、今。そんな感じ(どんなカンジだっつーの)




Waterfall//Saku Takano
Since September 2003