恋の方程式 ―星にねがいを side AMI―
―Scene 4―


「もういい加減、口きいてってばぁ!」
 なんとも情けない、弱り切った声が背中から掛かる。流石に怒った振りも潮時かと、亜美はぴたりと歩みを止めた。「わっ」というまことの声が背中にぶち当たる。
 亜美は勢いよくくるりと回り、つんのめった体勢でバランスを保とうとしているまことと向かい合う。
 下校ラッシュの時間帯とは言え、学校を出て10分も歩けば十番中学の制服は見当たらなくなる。視界にセーラー服も学ランも見当たらないのを確認すると、亜美はなるべく真顔のまま堅い表情を崩さずに、まことに問う。
「反省した?」
「したした! しました! だからもう許してよ」
 まことは頭を垂れ、両手を揉み合わせて懇願する。亜美は小さな溜息をついて、右手を差し出した。
「じゃあ、携帯貸して?」
 口調は疑問形ではあるが、実態は命令形を呈している。
「h」
「まこちゃん、貸して?」
「……消さないと、だめ?」
「反省したって言わなかった?」
「……言いました。けど……」
「けど?」
 まことが合わせた手の隙間から亜美を見ると、一見穏やかな微笑みを浮かべているようにも見えるが、目元だけ笑っていない。元来そこそこ整った顔立ちなだけに余計に迫力が感じられる。……普段真面目な人が怒ると怖いっていうけど、ホントだよな、と肩を落として独りごつ。
 目の前の彼女は、恐い。これ以上怒らせたくはない。
 でも、携帯に保存した声は消去したくない。
 でも怒らせたくない。
「あの……」
 一人、ジレンマと戦い、甘えるように亜美を見る。出来れば上目遣いなんかして甘える仕種でもしたい所だが、この身長差では如何せんどうにもならない。
「だめ……?」
「ダメ。貸して。いつまでもあんなもの取っておけないわ。誰かに聞かれでもしたらどうするのよ」
「じゃあ、誰かに聞かれなきゃいいの?」
 希望を込めた声で言うか、あっさりと一蹴される。
「ダメよ。そういう問題じゃないでしょ。私は怒っているの。あんなもの勝手に録音されて、は、恥ずかしいじゃない」
 ――あんなものって……。すごく可愛いのに。今だってちょっと照れたりして可愛いのに。
「何か言った?」
「い、いえ、言ってない言ってない!」
 まことが大袈裟に首を振ると、亜美は溜息をついて然も疲れ切ったように肩を落として言った。
「それに、いかにも聞きそうな人がいるでしょ、身近に。取っておける訳がないじゃない」
「あ〜」
「ね」
 二人共、同一人物の顔を思い浮かべる。金糸の髪に真っ赤なリボン。
「確かに美奈子ちゃんならやりかねないかも……。前にも一度携帯見られたし。悪気ないんだろうけど、困っちゃうよなぁ。h〜〜〜〜〜」
「ね、だから消します」
「今?」
「今」
「後でじゃ――ダメ? 後一回くらい聞かせてよ。お願いだからさ」
 まことの頼みに、一度聞いただけなのに耳にこびり付いてしまった自分の声が蘇って瞬時に顔が紅潮してしまう。
「だ、……ダメよ! もう絶対にダメ!」
「けち」
「ま、まこちゃん、反省してるんじゃなかったの?」
「…………はい」
「ね。じゃ、携帯貸して」
 まことは諦めて、学生鞄を探る。その姿は本当に気落ちしていて、ほんの少しだけ亜美にも仏心が湧かないでもない。でも、ここで優しくしては今後同じ事が繰り返されないとも限らない。――厳しく厳しく。
「はい」
「ありがとう」
 亜美はまことの携帯電話を受取ると素早い手付きで操作する。正に目にも止まらぬ速さで、写し出される画面が瞬く間に流れていって、あっという間に『消去しますか?』の文字が表れる。
「ああ〜〜。勿体無い〜〜〜」
 ――ピ。
 まことの言葉を打ち消すように、操作音が鳴る。そして映し出される『消去しました』の文字。
 がっくりとうなだれるまこと。
 そんなまことの姿を見て、こんな事で一喜一憂する彼女が可愛らしく思えてしまい、ちょっとした罪悪感が亜美の心に浮かぶ。
「もう、そんなに落ち込む事じゃないでしょ」
「落ち込むよ〜〜。折角録音したのに〜〜。だって亜美ちゃん、そういう事全然言ってくれないだろ」
「それは……そう、だけど……」
「折角、両思い……なんだから、そういう言葉だって出来れば聞きたいし、亜美ちゃんがそういうの苦手なのって分かってるけど。それに、言ってくれたらもう絶対録音なんてしないからさ」
「そんな……」
「お願いだから……ね。誕生日プレゼントだと思ってさ」
「い、今……?」
「今!」
 まことの「誕生日プレゼント」という言葉に、肩から下げたトートバッグに視線を落とす。バッグの中には後で彼女にプレゼントするつもりの品々と、彼女の部屋に泊めてもらうという約束の為に用意したパジャマやら歯ブラシやらが入っている。
「プ、プレゼントって言うなら塾の後で……」
 亜美が困り果て、赤い顔でまことを見上げる。するとまことも無理強いをするつもりなど最初からないし、にっこりと微笑んで、ぽんと亜美の頭を撫でて言った。
「……分かったよ。無理に言ってもらっても仕方ないしね。あたしもごめん。悪かったよ、あんな事して。もう二度としない」
 片手を挙げて誓う仕種をするまこと。
「ううん。私も大人げなく、学校でまこちゃんの事無視したりして、ごめんなさい」
 亜美も頭を下げて謝り、それから顔を上げて少し首を傾げるように微笑んだ。まことも微笑み返す。
「じゃ、そろそろ行こっか。もうすぐ塾の時間だろ?」
「そうね。このまま真っ直ぐ塾へ向かうわ」
「じゃ、あたしはスーパーに行ってご馳走の材料でも買って帰るよ」
 そう言ってまことは歩き出し、亜美も彼女の隣に並んで歩き出す。
「あの、まこちゃんのお誕生日なのに、まこちゃんにお夕飯の用意して貰っちゃって、ごめんなさい。本当は私が作りたいのだけど」
「ああ、いいって。亜美ちゃんに塾休ませる訳にはいかないからね。第一あたしが作りたいんだよ。それに、亜美ちゃんがわざわざお泊まりしてくれるだけで嬉しいんだもん。誰かと一緒に誕生日の夜を過ごすなんて久しぶりだから、すごーく楽しみ。――荷物、あたしが持って帰っておこうか?」
「ううん。大丈夫」
「そう? 遠慮しないでいいんだよ」
 そうは言っても自分の荷物くらい自分で持てるのだから、いい。
「じゃあ、ここで」
「うん。塾、頑張ってね」
「ありがとう。じゃ、また後で」
 交差点で手を振って別れ、しばらくの間亜美はまことの背中を見つめて、見送った。そして塾の後の事を考えて少し緩みがちな頬を、両手で叩いて激励する。
 ――さて、お勉強頑張らなくっちゃね。

 遅い夕食後、まことの部屋で向かい合って床に腰を落ち着かせて座りながら、まことが嬉しそうにページを繰っている。
 誕生日プレゼントのひとつは、一冊の問題集。勉強が必ずしも得意ではないまことが少しでも勉強しやすいようにと、彼女に合いそうな本を探し、特に彼女の苦手な部分を考慮してアンダーラインを引いておいた。 「……特にまこちゃんの参考になるようなポイントをチェックしてみたの。良ければ参考にしてね」
 誕生日プレゼントに問題集だなんて味気ないような気もしたが、自分らしいプレゼントは何かと考えたら、このプレゼントになった。
 それでも彼女の反応を見るまでは自分の用意したプレゼントに自信が持てず不安に思っていたが、まことの笑顔を見ていたら不安なんてどこかへ行ってしまった。
「あたし、勉強頑張るよ。絶対絶対頑張るから。だから、一緒に十番高校行こう!」
 そう言ってくれた時の彼女の笑顔は忘れない。――真っ直ぐで力強い視線。包み込むようなその優しい瞳に見つめられて、改めて彼女を好きになって良かった、同じ高校を選んで良かったと思った。
 確かに亜美は別の学校を選択する事も出来た。担任の教師からは再三受験校を十番高校以外にも増やしてはどうか、どこそこの進学校がいいとかあそこの私立校はぜひ受験しなさいと幾度も勧められたが、どの学校の願書も提出しなかった。迷わなかった時期がなかった訳ではない。皆にも色々と気を使わせてしまったし、元々学校の違うレイには何度も相談にも乗ってもらった。でも、一学期の終盤に決意して、皆に十番高校を受験する、一校しか願書は申し込まないと伝えたときの、その時のうさぎの顔は忘れない。本当に心の底から喜んでくれたのが分かるから。――私を必要としてくれている、友人として好いていてくれる、その気持ちが本当に本当に嬉しかった。
 それに、去年、ドイツ留学を取り止めた時に自分の心は決まっていたのだ。使命の為ではなく、友人の為ではなく、自分が仲間と共に過ごす事が大事だと分かったから、何よりも自分の為にここにいる事を決意した時から、その気持ちは変わっていない。
 ――私は私の為にここに、いる。
 皆と。
 そして、彼女の側に――。
 視線を上げると、優しい瞳が見つめてくれている。
「まこちゃん……頑張って、ね」
 いつかは互いに違う道を歩む事になるのかも知れない。
 それでも、不確定の未来の事より、今を大事にしたっていい。その為に自分に出来る精いっぱいの事を、自分にも彼女の為にも沢山しよう。――そう思った。
 それからもう一つ背中に隠しておいたプレゼントをまことに差し出した。それは、彼女の好きなベビーピンクのミトン。
 ラッピングを解いて、ミトンを見た時のまことは本当に嬉しそうで、改めてまことの朗らかな笑顔の純粋さに嬉しくなった。――彼女の笑顔が向けられているのは、今、世界中で自分にだけなのだ。
 まことは早速ミトンを両手にはめ、腕を伸ばして亜美の頬を柔らかく包み込む。亜美はくすぐったさに肩を竦ませながら、やや目線の高いまことを見上げて言った。
「気に入ってくれた?」
「うん! すごく! 本当にありがとう。どっちも大事にするよ! ありがとう!」
 そう言われて、あっと言う間に抱き締められた。
「亜美ちゃん、本当にありがとう。ホントにホントにホントに!」
「…………!」
 瞬く間に顔が沸騰する。
 今迄こういうスキンシップをされた事がない訳ではないが、うさぎや美奈子は体での愛情表現が過剰な方だし別に抵抗感なんてなかったが、こういった場でまことにこういった事をされると、どうしていいのか分からなくなってしまう。
 彼女の部屋で、ふたりっきり。
 意識し過ぎなのは分かっているが、冷静な大脳の隣で小脳が立派に反射神経をフル活用している。体が硬直し次第に鼓動まで強くなる。
 すっぽりと覆われてしまった頭、抱かれた肩、着衣越しに伝わる彼女の温もり、耳に触れる彼女の頬――ものすごく彼女を近くに感じる。更に腕の力が少しだけ強められる。背中を包む彼女の腕。
 腕から温もりから、彼女の気持ちが伝わる。温かくて優しい気持ち。
 だから、自然と彼女の背中に腕を回してしまっていた。繋がる体と気持ち。だから、ぎゅうっと抱き締める。
 心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、耳に内側から自分の鼓動が響いて他には何も聞こえない。
 不意に、放課後の彼女の言葉を思い出す。「誕生日プレゼントだと思ってさ」
 ――誕生日プレゼント。
 多分、彼女が喜んでくれる、プレゼント。――多分、一番喜んでくれるかも。
 昨夜からずっと考えていた。彼女が一番喜んでくれるプレゼントは何か。この問題に正しいひとつだけの解答なんてない。でも、ここで解答が分からないからと放り出してはだめ。勉強には努力と根気が大事なんだから。恋愛だってひとつの勉強と言えなくもないわ。――うん。
「あの、まこちゃん……」
「ん?」
 腕の中から彼女に声を掛けると少し腕の力が緩められ、話が出来るくらいのゆとりが出来る。
「あの、実はもう一つプレゼントがあるの。……貰って……くれる?」
 必死の思いで亜美がそう言うと、まことはなんだろうと亜美のつむじを見下ろした。
「うん。……何だい?」
「あの、ほんの少しの間、目をつぶって、くれる?」
「…………?」
 まことは亜美の慎重な言葉に何となく居住まいを正し、そして言われた通り軽く目をつぶった。
 すると思ったよりもずっと近くで亜美の声が聞こえて、――ドキリとした。
「まこちゃん、お誕生日おめでとう」
 そして、唇に軽く触れる柔らかな感触。直ぐにそれが亜美の唇だと分かって思わず目を開いたら、本当に直ぐ近くに彼女の顔があって、妙に、ああ、今、亜美ちゃんとキスしてるんだ、と実感してしまった。
 まだ目をつぶったままの彼女の表情は穏やかだけど、頬は真っ赤でとても緊張してるんだって分かる。
 やがて開かれる、深い紺青の瞳。
「亜美ちゃん……」
「あの……」
 ものすごく照れてるのが彼女の潤んだ瞳から伝わる。いつもの彼女の癖で手が口元に伸びるのを、それが届く前にまことは何か言いかけて開いた唇にキスをした。殆ど衝動的に舌を少しだけ差し入れる。
 その瞬間、亜美は今迄経験した事のない感触に驚いて、咄嗟に体を引いた。
「…………!」
 唇と舌先に触れる生温かくて軟質の感触。これって……。
 まことを見上げると穏やかに微笑んでいて、その瞳を見つめたまま体が動かなくなってしまった。再び彼女が口を開く。それだけで、彼女にも分かってしまう程に体が反応してしまい、肩が震える。
「……いいよね?」
「あ、あの……」
 ――いいって、何が?
 質問の意図が全く分からない。否、脳が分かろうとしてくれない。ただぼうっとして、彼女のなすがままにしかならない。また再び彼女の唇が近づいてくる。
 やがて触れる唇。今度は触れるだけで。でも少し濡れた感触がやけに生々しくて、もうどうしていいのかが分からない。少しずつ身体の力が抜けていってしまう。まことの肩に置いたままの手がするりと落ち掛けた時、再び彼女の舌が進入してきた。抵抗も出来ずに、肩が震える。
 でもまことが優しく肩を抱いてくれるから、緊張しながらも不安はなくて、彼女の求めに応じて身を委ねる。

   ――やがて、気遣うように唇が離される。その瞬間亜美は俯いて、それでも居たたまれなくなって思わずまことの胸に顔を押し付けた。
 不意にまことの手が背中を撫で始め、その仕種はまるで子供をあやす母親のそれのようで――恐らくはそのつもりなのかも知れない。――子供じゃないのに、とも思うがそれに対して抗議をする事すら出来ず、ただただまことの胸に顔を押し付けているしかなくて。
 やがて、まことの右手が背中を離れて亜美の耳に触れた。感触を楽しむように耳朶をなぞられピアスを弄ばれ、その感触がこそばゆい筈なのに感覚なんてまるでなくて。
 それでも懸命に顔を上げ、まことの顔を見上げる。恥ずかしさが込み上げて来て、どうしようもなく顔が熱い。何かを言いたいのに、何を言うべきかも分からない。
 何か言うかと思ったまことが亜美の顔を覗き込むが、結局何も言えないまま、また俯いてしまう。
「……亜美ちゃん」
「………………はい」
 まことが声を掛けると、掻き消えてしまいそうな声が返ってくる。
「ありがとう。……来年も、再来年も、その次もずっと、これからもずう――っと、毎年、同じプレゼントくれるかな」
 まことがそう言うと、亜美はおずおずと顔を上げて上目遣いで彼女を見上げて、小さな声で呟いた。
「……はい」

Fin.


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POSTSCRIPT
あとがき
★付き合い始めのまこちゃんと亜美ちゃん。実は随分前から書き始めてたんですけど、色々と忙しくって(笑)今頃に。冬コミで出した「星にねがいを」とリンクしたお話なので、もっと早いうちに(読んで下さった方が内容を忘れないうちに……)と思ってたんですが、思わぬ萌えの邪魔が入り…(笑)てへ。

★それにしても最近の私の書くまこ亜美はど・う・も、砂吐きばっかりですね、ざりざりざり〜〜。
★ホントはもっとほんわかした二人が書きたいのに、いざ書くとなるとこんなんばっか。昔は甘甘なんて恥ずかしかったのにな〜。つうかこれでもかなり恥ずかしいんですけどね。友人らには読まれたくありません!

★で、今回のポイントは、同じシーンを互いの視点で別々に描く、という事で。同人誌で出した「星にねがいを」は先行して自由に書いてたんで書きやすかったんですが、今回の亜美ちゃん視点のお話は、先行した「星にねがいを」に刷りあわせつつ書いてたんで、多少書きづらくて…。
★でもまあ、書いている時は楽しかったです。ただ「星にねがいを」も含め、余計なエピソードを詰め込み過ぎちゃったんで、1本のお話としてはバランスが悪くなっちゃったのが難点です……。SS書いてると、あれもこれもと色んな二人を書きたくなっちゃうんですよね。
★まあ、次回から気をつけます。趣味で書いてるとはいえ、折角書くんだからそれなりに自分で納得の行く作品にしたいですからね。




Waterfall//Saku Takano
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