恋の方程式 ―星にねがいを side AMI―
―Scene 3―


『あ、亜美ちゃん?』
 携帯電話の通話ボタンを押すと、思いの外弾んだ彼女の声が聞こえてほっとした。ほんの少し前に携帯電話からメールを送ったばかりだったから、もしかしたらメールの返信が来るかも、とは思っていたけれど、電話が掛かって来て驚いた。……期待していなかった訳ではないけれど。
「あの、お誕生日おめでとう……まこちゃん」
『ありがとう。……それからメールも。すごく、嬉しい』
 聞き慣れた筈の彼女の声がくすぐったい。こういう「特別な日」には、彼女の声ももっと心地よく聞こえてしまうから不思議なもので――。
「メール、着信音が迷惑じゃなかった? もう寝てたらどうしようかと思っちゃった」
『今日はね、まだ寝るつもりなかったから』
「そう……良かった」
 時刻は、日付けが12月5日に変わったばかりの深夜午前0時。電話にせよメールにせよ少し非常識な時間帯だから、誕生日のお祝いのメールを送るにしても迷惑かと思ったが、恐らくまだ眠っていないとも思ったし、それに何より彼女に祝う気持ちを伝えたかった。
「本当におめでとう。本当に……」
『うん。ありがと。……あ、でも今電話しちゃって大丈夫だった? 亜美ちゃんこそ寝てる――って、この時間じゃ亜美ちゃんまだ寝ないか。もしかして勉強してた? 電話、迷惑じゃない?』
「ううん。まこちゃんにメール打とうと思って休憩してた所だから」
『そっか……。はは。なんか……』
「うん?」
『なんか、その……えっと……今すごく亜美ちゃんに会いたくなっちゃった――かも? なんてね、はは』
「――――!」
 思いもよらぬ言葉を聞いて、驚いて一瞬呼吸が止まる。会いたいなんて、そんな風に思ってくれる事がすごく嬉しくて、でもそんな風に言われた事がなかったから、何も言葉が出て来ない。
「あの……」
『あ! いや、言ってみただけだからさ! こんな時間じゃ無理だしね。ごめん。ホント言ってみただけだから気にしないで』
「…………あ、うん……」
 どこか出掛ける用事があったり相談事があって呼び出されたりするのと違う。会いたい、なんて……。
『ホント、気にしないで』
 いつまでも黙ったままなのを気遣って、何度もまことが謝る。彼女が気を遣う事じゃないのに、然りとて適当な返事も思いつかなくて、妙な話題の振り方をしてしまう。――どうも緊張しているみたいで、いつものようには頭が働かない。
「あの、まこちゃん、大丈夫?」
『へ? 何が?』
 案の定、驚いて少し間の抜けた声がする。
「その、最近元気がなかったみたいだから……。大丈夫かしらと思って……」
『ああ。そっか、亜美ちゃんに気、遣わせちゃったか。全然平気だよ。でも、心配してくれてありがとう。……なんか、ちょっと元気出てきたみたいだよ』
「ホント?」
『うん。なんか、亜美ちゃんの声聞いてたらさ、色んな事どうでも良くなっちゃった。何心配してたんだろうね、あたし」
 ――なんて、亜美ちゃんには何の事か分からないだろうけど、はは、なんて笑って、穏やかな声が携帯電話から聞こえて来る。けれど安心した反面、隠し事をされているような気がして胸に小さな痛みが走る。彼女の事を詮索しようとは思わないけれど、相談してくれたっていいのに、と随分と横暴な事を考えてしまうそんな自分に対して少し自己嫌悪になる。
 この所の彼女は、いつもより口数も少なくって、何かを悩んでいるようだったけど、最近の彼女の身に起った事で原因となりうるような出来事は聞かされてはいない。心配だけれど、それ以上に何も話してはくれないという事に、苛立ちというか焦りを感じてしまう。
 以前はこんな風には思わなかったのに。彼女は彼女。ずかずかと彼女の深い部分にまで立ち入るのは失礼な事だし、互いに必要な時に側にいればそれで良かった――友人としてなら。
 だけど。
「あの……、聞いてもいいかしら? 言いたくないなら言わなくてもいいの。ただ、何を悩んでたのかなって」
『ああ……』
 然も言いにくいといった声が帰ってくる。
「あっ、い、いいの。言いたくないなら。ごめんなさい、変な事聞いて……」
『いや、別に言いたくないって訳じゃないんだよ。その、なんて言うか、別に隠してるんじゃなくて亜美ちゃんにだから言いにくいっていうかなんて言うか。いや……、その……』
「まこちゃん……?」
『いや、まあ……』
 何とも言いにくそうで、あ〜んとかう〜んとか唸る声が聞こえる。
「いいのよ、無理に話さなくても」
『いや、そうじゃなくて、無理してるとかじゃなくてさ。なんて言えばいいのかな。その……亜美ちゃんはあたしと一緒にいてどうなのかな、って』
「え?」
 一瞬ドキリとする。
『あたしと一緒にいて……楽しい……?』
「え、ええ。勿論」
『まあそうだよね。それは分かってるんだけどぉ……』
「ふふ」
 ――分かってる、のね。おかしくて 少し笑ってしまう。
「それで?」
『うん、だけど楽しいだけなのかなって。あたしたちってさ、その』
「…………?」
『つ、つ……――きあってるんだ、よね』
「!」
 「付き合っている」という馴染みの浅い言葉に、さっきよりも強くドキリと心臓が鳴る。居たたまれなくなって、椅子から立ち上がりベッドへと移動する。
「そ、そうよ、――ね」
 ベッドの上に腰掛け、そのまま膝を曲げて両足を抱え込む。
『そうだよね。うん』
 ――うん、うん、と何度も携帯電話の向こうで頷く彼女。彼女の声に合わせて亜美も何度も頷いてしまう。
『そうなんだけど、でも、なんか不安になっちゃうって言うか、なんて言うか、どうしていいか分からなくなっちゃってさ。あたしはもっと亜美ちゃんと……その、近くなりたいっていうか、友達よりももっとこう……』
「――――」
 本当に思考回路がショートしてしまいそうだ。
 本当にそんな風に思ってくれているの?
『その、だから、あたしってどうなのかな?』
「え?」
『あたしの事、どういう風に思ってるのかなって』
「…………」
 どんな風にって、決まってる。
 もうずっとずっと好きだった。友達としてなんかじゃなく。彼女が私の事を友人としてしか好意を持ってないと思っていたけど、それでも一緒にいられる時間のすべてが楽しくて嬉しくて大切で、愛しくて。
『亜美……ちゃん?』
「――っ」
 言葉にしたいのに、言葉にならない。
 どうしても声に出せない。言いたいのに、口にするなんて出来ない。言わなきゃ言わなきゃと思えば思う程、緊張の糸で雁字搦めになって言葉にする事が出来ない。
「――っ」
 喉の奥が乾く。
 言わなくちゃ。今。――絶対。
「…………――好き、よ、まこちゃん……」
 消え入りそうな声だったけど。
 耳が熱い。
『ありがとう。あたしも……好き……だよ、亜美ちゃん』
「っ……」
 あまりにドキドキし過ぎて心臓が痛い。
『これからもずっと一緒にいよう。絶対』
 痛くて――でも、信じられないくらい幸せで……。
「…………うん」
 胸がいっぱいで、それ以上は何も言えなかった。

 ずっと。一緒に。
 結局はお互いに同じような事で落ち込んだりしていて、自分も相当に不器用だけど、まさか彼女までこんな風に恋愛に不器用だったなんて。意外だったなんて言ったら、怒るかしら? ――ね、まこちゃん。












 それなのに。

『あたしの事、どういう風に思ってるのかなって』
『…………』
『亜美……ちゃん?』
『…………――好き、よ、まこちゃん……』

 耳に充てがわれていた携帯電話がするりと抜き取られる。
「昨日の電話、録音しておいちゃった」
 人もまばらな登校中、あまりにも緩み切った表情(かお)で携帯電話を掲げて、しれっとそんな事言うものだから。
 彼女の携帯電話の録音機能に保存されていて、たった今聞かされたばかりの自分の声が、頭の中で何度もリフレインする。

『…………――好き、よ、まこちゃん……』

 彼女の携帯から流れ出てきたのは紛うことなく自分の声で。

 好きよ、まこちゃん
 好きよ、まこちゃん――

 思わず駆け出してまことの前から逃げようとするが、僅かに数歩走った所であっさりと腕を捕らえられる。それでもやっぱり恥ずかしくて彼女と顔が合わせられないでいると、両腕を捕まれ無理やり彼女の方へと顔を向けさせられる。力では勝てない事が今は無性に悔しい。
「亜美――」
「わざとだったのね! ひどいわ!」
 恥ずかしさと怒りで頭の中がパニックを起こしかける。
「まこちゃん、ちょっと元気ないみたいだったから、だから、私――。消して! 今直ぐ消して!」
 興奮して声が荒上がる。兎に角こんなものそのままになんてしておけないと、亜美は真っ赤な顔でまことに詰め寄る。
 しかしまことはと言えば、予想以上の亜美の反応に驚きつつもどこか緩んだ表情で、頑として録音を消去しようとしない。
「だ、ダメだよ、折角録音したのに」
「嫌よ。お願いだから消して」
「いいじゃないか。すごく可愛……っと! ――と、とにかくあれは消せないよ」
 まことは携帯を握り締め、背中を亜美に向ける。その分亜美は腕をいっぱいに伸ばして携帯を取り上げようと背中からまことに飛びかかる。するとまことは彼女の手が届かないようにばんざいして携帯を上に上げ、それを取ろうとして今度は亜美がぴょこぴょこ跳ねる。
「あはは。取れるもんなら取ってごらん」
「もう、そんな子供みたいな事しないで!」
「何とでも言いなよ。これはあたしの宝物だもんね。いや〜すごく良い誕生日プレゼント貰っちゃった!」
「だめ、消して」
「い〜や」
「まこちゃん!」
「だ〜め」
「――もう、まこちゃんなんて知らない!」

 まこちゃんの馬鹿!!!!!

To be continued.


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Waterfall//Saku Takano
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