■ Simple-mindeness ■
〈R18 / For Adult Only〉
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この作品は「箱庭のフィーリア」というオリジナル百合同人誌の
五条御影と柳原ゆかりのふたりを中心としたサイドストーリーとなります。

箱庭のフィーリア
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五条御影
■五条御影(ごじょう みかげ)
新湾岸総合文化学園の軍事訓練科に通っていたが、とある事件を境に普通科へ転科。高等部3年。
一見美少年のようだが、女性。
幼馴染みのゆかりに頭が上がらない。
柳原ゆかり
■柳原ゆかり(やなぎはら ゆかり)
新湾岸総合文化学園・普通科 高等部3年。
皆から慕われる、清楚で可憐で学業優秀な生徒会長。



 ――運命の恋なんてあるわけがないと思ってた。

 いや、正確には運命の恋には出会ってみたいが、どうせそうそうあるわけがないし、それなら色々と探し回ってみなくちゃ分らないよな、――五条御影(ごじょうみかげ)はそう結論づけると、うんうんと頷いた。

 それが八年前のこと。

 色々なことに興味の尽きない子供ゆえの好奇心が言い訳がましくそんな答えを導き出したが、何てことはない、少々マセた子供が「恋」だの「愛」だの大人ぶってみたかっただけなのだ。
 誰でも可能性があるなら、できるだけ色んな子と付き合ってみよう。それが当時十歳だった彼女が、子供なりに導いた答えだった。
 けれど子供とはいえ誰しもが恋愛に興味を持つものだし、いささか問題があるにせよそれは自然なことだ。だがよろしくないことに、御影はモテた。
 白磁のように白く整った顔立ちは子供の世界でも目を引いたし、彼女自身もそれを自覚していたのだからなおタチが悪い。おまけにその頃からすでに女の子を喜ばせる術を心得ていたし、外見だって美少女というよりは美少年と言った方がしっくりしていた。それに何より、御影自身恋愛というか女の子に対して、興味があったのだ、非常に。
 それは今も変わらない。恋愛に興味がある。少々問題なのは、相手が皆同性だということだ。けれどそんなことはどうでもいい。自分は女で女が好きだ、それなら女の子と恋愛すればいい。答えはシンプルだ。
 そう、御影の思考回路はシンプルなのだ。
 だから恋愛に対してもシンプルだ。好きかそうでないか。好きならエッチをする。興味が失せれば別れる。――たいがいはこちらから切り出す前に、相手から先に愛想をつかされたが。
 そうやって十歳の少女は高等部三年生になり、それなりに恋をしてきた。――つもりだ。
 けれどこの気持ちはなんなのか。
 幾人もの少女たちと恋をして、時に身体を交じり合わせたりもしてきた。可愛いと思ったり、相手の小さな反応に胸を躍らせたりもした。
 けれど。
 いまだ運命の人には巡り合えず、それどころか恋と愛の違いも、友情との線引きさえどこか曖昧な自分がいるだけだった。

 柳原ゆかりは下駄箱の前で、目をぱちくりさせた。
 その背に向かって普通科の制服を身にまとった下級生が声をかける。
「ゆかり先輩、ごきげんよう」
 ちらりとそちらに視線を向けると、嬉しそうににっこりと微笑む下級生がおり、ゆかりはいつものようにやわらかな笑みを投げかけた。
「ごきげんよう」
 肩で切りそろえた髪を揺らしながら首をかしげ、そんなやさしげな天使のような笑みに、声をかけた下級生だけでなく、周囲にいた生徒たちの顔にも笑みが浮かぶ。ゆかり自身はあまり興味もないが、彼女はこの新湾岸総合文化学園で「お姉さまにしたい人」ナンバーワンの称号に輝く、生徒たちの憧れの人だったのだ。
 優しげな笑みと女性らしいたたずまい、清楚で可憐で学業優秀なお姉さま――。それが高等部普通科三年・特進コースに通う、生徒会長・柳原ゆかりなのだ。
 ゆかりがやわらかな髪に手をやり、どこか悩ましげな表情を浮かべた。
「……手紙、か」
 下駄箱を開けるとそこには一通の手紙が置かれていた。
 それを手に取り、小さくため息をつく。
 あらゆる物のデータ化が進み、どれ程文明が発達しすっかり手紙が前時代の産物となろうと、こういった風習は不思議となくならないものだ。
 宛名には「柳原ゆかりさま」とあり、ひっくり返して送り主の名を見る。――が、高等部一年のその主の名――女性だ――に、見覚えなどなかった。
 ゆかりは黙ってそれをカバンの中に滑り込ませた。なんだかなあ、と思う。
 幼稚部から高等部までずっと「湾学育ち」である自分にとって、こういったことはさして珍しくともない。新湾岸総合文化学園は初等部までは共学であるが、それ以降は女子部と男子部とに分かれるため、男女の出会いが減るのだ。おのずと身近なところで手を打つようになる。恋に恋をしてるような年齢だから、それでいいのだ。
 だから同性からラブレターを貰うこと自体に抵抗も偏見もないのだが、なんだかなあ、と思う。
 手紙はどれも「ずっと好きでした」とか「憧れています」だとかで、返事をするために実際会ってもどこかミーハーで、やっぱり恋に恋してるようにしか見えないのだ。中にはとても純粋に想いを寄せる子もいたが、それでもゆかりの心が動くことはなかった。
 ――何やってるのかしら?
 思わず自分で自分を責めて、ため息をついた。
 いい加減、外に目を向けたらいいのだ。幸い、好意を持ってくれる人はこうしてチラホラいるのだ。
 自分の恋は成就しない。それは分りきっているのに、どうして踏み出せないのか。自分の意気地のなさというかネチっこさにうんざりする。

 ゆかりには想い人がいた。

 もう初等部の頃からだ。これをネチっこいと言わずしてなんと言おう。何度も諦めようとしたが、結局諦めきれずに、かと言って自分からアプローチなんて死んでもできないから、こうしてぐずぐずといつまでもくすぶり続けているのだ。もういぶしにいぶされ、すっかり干からびちゃっていそうなものなのに、やっぱりどうしても好きで。
 おまけに自分の趣味は最悪だ。最低の最悪。恋愛するにはまったくよろしくない類の人間なのだ。気が多くて軟派で女の子をとっかえひっかえばかりしている。
 どうしてそんな人を好きになってしまったのか分らないが、相手がどんな人間だろうと好きになってしまったのだから仕様がない。プログラムのように気持ちを書き換えられたらどんなにいいかと思うが、できないのだから諦めるより他にないのだ。
「……ばかみたい」
 思わずそう呟いて顔を上げた時だった。
「何が馬鹿なんだい?」
 そう後ろから声をかける者がいて、ゆかりは飛び上がった。思わず下駄箱に身を寄せ、振り返る。
「み、御影! い、いたの?」
「そりゃいるだろう。一緒に登校してるんだから。手紙の相手に心当たりはあるのかい?」
 そう御影に言われてまたもや心臓が飛び跳ねる。
「い、いつからそこにいたのよ」
「きみが下駄箱を開けた時から」
 しれっと答えて彼女がにっこりと笑う。
「きみが男女問わずモテるのは知っていたけど、こういう場面を見たのは初めてだ」
 そう言ってどこか興味深そうに手紙の入ったカバンを彼女がしげしげと見つめる。
 ――当たり前だ。
 御影にだけは絶対に見せないようにして来たのだ。それでいてうんざりする程に彼女の恋愛遍歴を眼の前で見せつけられて来たのだ。彼女は隠しだてなどしないし、する必要もない。ただの幼馴染み同士なのだから当たり前だ。
 けれどゆかりは彼女にだけはこういった場面を見られたくなかった。
 ゆかりはカバンを身体の後ろに回すと、努めて自然に言った。何でもない顔をして取り繕うのには慣れている。
「野次馬なんて趣味悪いわよ。ほら、行きましょ」
「で、どんな子なんだい? 知ってる子かい? それとも知らない子?」
 幼馴染みがもらったラブレターについて興味津津で、御影が聞いて来る。
「あなたには関係ないでしょう?」
「そう?」
 ――なにが、「そう?」よ。本当は興味なんてないくせに。ただちょっとからかってみたいだけなのだ。
「で、どうする。付き合うのかい?」
「名前も知らないような子とお付き合いなんてするわけないでしょう? あなたじゃあるまいし」
「知らない子なら尚のこと付き合ってみなくちゃわからないじゃないか」
「あなたの恋愛観に口出すつもりはないけれど、わたしにもそれをあてはめないで頂戴。ほら御影、行くわ――」
 振り向いた時だった。
「うわっ」
「きゃ!」
 下駄箱の段差に松葉杖の先を引っかけた御影が、こちらへとしなだれかかって来る。御影が手にしていた松葉杖が倒れて派手な音を立てた。
「おっとと」
 慌てて御影自身が下駄箱に手をついて身体を支えるが、怪我の痛みで支えきれずに、下駄箱と身体とでゆかりをサンドイッチするように押しつぶしてしまう。
 背中から抱きかかえるような態勢に、ゆかりの頬が染まる。
「ごめん」
 そう言った御影の声が耳に触れ、一瞬身体が震えた。御影の愛用している香水の香りがかすかに香る。
「ごめん。ちょっと体重かけるよ」
「うん……」
 全身あちこち怪我しているせいかうまく力が入れられないらしく、御影の身体がより密着した。こくりとゆかりがうなずく。
 やがて彼女が身体を起こすと、ゆかりはそそくさと松葉杖を拾い上げた。
「ずいぶん良くなってるとは言え、気をつけてよね」
 そう言って御影に松葉杖を渡す。
「ぶつかったのがきみで良かったよ」
 そう言って笑う彼女。
 ――どういう意味? なんて聞けずに、無言で彼女が落としたカバンを拾い上げた。まだ心臓がドキドキ言っている。けれどそんな態度はおくびにも出さず、いつものようにやさしいお姉さん然としてカバンを手渡した。
「はい。本当に気をつけてよね」
「ありがとう、ゆかり」
 カバンを受け取ると、御影が再びにっこりと笑った。石膏像のように彫りの深い顔立ちに浮かんだ笑顔は、どれ程見慣れていようと、胸を疼かせた。
 男性かと思われる程の長身と、端正な顔立ちはまさに美少年のようであるが、彼女は紛れもなく女性だった。その中性的な魅力はどうしたって周囲の人々の視線を集めずにはいられない。今もちょっとした人だかりができ始めていた。
「御影さま、ゆかり先輩、大丈夫ですか?」
「ああ。心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」
 声をかけてきた下級生に、優しげな笑みを浮かべる彼女。下級生が御影のそんな態度に嬉しそうに頬を染める。その瞬間、ちくりとゆかりの胸が痛んだ。
 御影はひと月前の「事件」で全身に怪我を負っていた。事件直後は車椅子生活を余儀なくされていたが、近頃はずいぶんと症状も軽くなっており、それでもまだ松葉杖を手放せるほどではなかった。
 御影はもともと軍事訓練科という特殊な学科に在籍していたが、事件を境に普通科へ転化して、クラスは違えど、ゆかりが登下校についてサポートしていたのだ。
「まだ痛む?」
「ん? まあね」
 曖昧に答える御影。
 怪我のことは心配だったが――何せ、その怪我自体、ゆかりをかばって負った傷なのだ――けれどこうして御影と長く過ごせるのはゆかりとしてもとても嬉しかった。幼馴染みとは言え、もともとベタベタするような関係ではなかったし、御影はいつも誰かしら女の子といることが多かったのだ、以前は。
 怪我を負ってからは不自由するからか、女の子をはべらすことも減ったが、やはり彼女の軟派な態度は変わらない。愛想がいいと言えば聞こえはいいが、単にちやほやされたいのだ、このナルシストは。
 だからこうして一緒にいられるのは今のうちだけなのだ。
 怪我が治ってしまえば、またチョウチョのようにひらりひらりと女の子たちの間を飛び回るに違いない。
「どうかしたかい、ゆかり」
「別に」
 そう。ゆかりの好意を寄せる相手とはこの気の多すぎる幼馴染みなのだ。
 ゆかりは軟派な笑みを浮かべる彼女を睨みつけると、ぷいっと顔を背けた。そしてかすかに頬を膨らませ、すたすたと歩き始める。
「待てよ、ゆかり! ゆかり!」
 ため息をついて御影がそれを追う。そのまま去って行きそうな気配がしたが、くるりとゆかりが振り向いた。
「へらへらしてないで、ちゃんと足元を見て歩いて頂戴」
「はいはい。ゆかり『お姉さま』」
 時に口では厳しいことも言うが、結局やさしいのだ、ゆかり「お姉さま」は。

 ラブレターとは。
 今朝、ゆかりがラブレターを渡されたのを目の当たりにして、ちょっとショックを感じた。いや、正確には直接渡されたのではなくて、下駄箱に入れられていただけなのだが。
 だがどちらにせよ彼女がラブレターを受け取っていたことには変わりないし、なんだか面白くなかった。
 いや、彼女を憧れる生徒が多いのは百も承知だ。「やさしいお姉さん」を絵に描いたような彼女は、その外見を裏切らず、実にやさしく実に細やかな感性を持ち合わせている。おまけに大変面倒見がいい。モテて当たり前なのだ。
 だが、彼女は今までそんな素振り見せたこともないし、好意を寄せられることについてどう思っているかとか何か言ったこともない。つまり御影は、ゆかりに好意を寄せる人間が多いのを知りつつも、彼女に全くその気がないらしいので、気にも留めていなかっただけなのだ。
 だが。
 改めて目の当たりにするとなんだか面白くなかった。
 自分はホイホイと女の子と付き合うくせに。
 そんな自分勝手さは百も承知だが、自分のことは棚上げするのが得意な御影は、子供のように頬を膨らませた。
「どうしたんだ、御影?」
「……凪(なぎ)か」
 顔を上げると、長身の彼女がこちらを見下ろしていた。中庭に差す木漏れ日が少し眩しい。
 志倉凪(しくらなぎ)
 彼女は高等部普通科一年に通っており、御影にとっては教え子であり親友であり、そして実の妹だ。色々と肩書きが多いのは、――まあ色々とあったせいだ。
 血の繋がった姉妹とはいえ、それを知ったのはわずか二年前のことで、彼女の方はついひと月まえにその事実を知ったくらいだから、姉妹と言ってもなんだかぴんと来ない。こちらとしては「可愛い妹」という想いはあるが、あちらにその気がないのだから、今更姉妹ぶるなんてできなくて、結局今は元の「親友」という立ち位置に落ち着いている。
 「教え子」というのは文字通りそのままで、御影が軍事訓練科在籍中に、優秀な成績のため、教官を請け負っていたからなのだが、凪も普通科へと転科し、何より御影自身が教官職を剥奪された今となっては、それもただの抜け殻だ。
「こんなところで何をしているんだ?」
「日向ぼっこだよ」
 そう答えると、凪がふうん、と言った。腰のあたりでゆるく束ねた彼女の艶やかな長い黒髪が揺れる。
「きみは? 凪」
「わたしは……別に」
「涼花ちゃんと待ち合わせか」
 そう言うと、ポーカーフェイスが崩れ、ぶっと噴き出した。
「な、なんで分かったんだ!」
「いや……分かるだろう、普通に」
 あからさまな態度に、小さくため息をつく。
 凪が涼花に並々ならぬ想いを寄せているのは知っていたし、涼花とてまんざらでないのはその態度からも分かった。よくつっけんどんな態度をとっている姿を見かけるが、恥かしさを誤魔化すためのポーズだということがありありと見てとれる。非常に初々しいふたりだ。
「もうしたのか、涼花ちゃんと」
「は? したって何をだ」
「エッチ」
 そう答えると、途端に凪の顔が真っ赤に染まった。爆発、という言葉がしっくりするくらい動揺する凪。
 今やもうどこにもポーカーフェイスの欠片もない。
「おま、何言って……! は、はあ!? エ……いやいやいや! 何を言ってるんだお前!」
「まだなのか」
「ま、まだってその! あの!」
「興味はあるんだろ?」
「…………!」
 ――ああ、分かりやすい。
 涼花の前でもこんななのかと思うとちょっと不安になる。
 凪の想いを寄せる綾瀬涼花は、彼女と同じく高等部一年で、一言で彼女を言い表すならば「美少女」だ。おまけに家柄もよく超巨大企業グループ綾瀬本家の一人娘だ。そんな高嶺の花をどうやって凪がゲットしたかと言えば、まあ色々とあったのだが、涼花だって凪を好いているのは間違いない。でなければあんな複数の目があるところで作戦上の行きがかりとは言え、凪とキスなどしてのけるものか。
 だが今の凪の態度を見ていると、ほとんど何も進展していないらしい。
 まあ無理もないか。
 凪はもともと恋愛だのなんだのと言ったことには疎いし、涼花の方は女性を恋愛対象としてなんて見たこともなかったのだから、そういうふたりが付き合うとなれば、おのずと進展など望めるものではない。
 おまけに彼女らには「お邪魔虫」がいた。
 あれでは互いに遠慮してしまって、進展もなにもあったもんじゃない。
「玲は? どうしてるんだ?」
「クラスが違うからなんとか巻いてここまで来たが、涼花が見つからなければいいが……」
 玲というのは凪の妹だ。
 凪の妹であるなら、同じく御影の妹でもありそうなものだが、そうではない。彼女は凪をモデルに作られた人工生命――ロボットなのだ。
 それでいて玲もまた涼花に想いを寄せているとなれば、彼女に気を使ってしまってふたりが進展するはずもなく。
 がっくりと凪がうなだれた。
「……なんか、不安になるんだよ。多分玲に気を使ってるからだと思うんだが、涼花は全然何も言ってきてくれないし、わたしばっかりが涼花を好きなのかと思って……」
 ほーう。
 これがあの凪かと思うと驚いた。
 何せ、二年前出会ったばかりの頃の彼女は、二言目には任務だ任務だとそればかりの「兵器」であったのに、涼花と出会ってからはすっかり人間味が増した。重い運命から解放されて、こうして人並みの悩みを抱えるようになったし、角が取れたというか、まるで普通の女の子だ。
 そう思うと、少しさみしくなる。
 自分は二年かけてようやく凪との信頼を築いたのに、涼花は一瞬にして凪の殻を破ってしまったのだ。姉として嬉しくあるものの、なんだか悔しい気もした。
 むくりと意地悪が鎌首をもたげる。
「安心しろよ。涼花ちゃんはきみに惚れてる。だから無理やりにでも押し倒しちゃえばいいんだよ」
「お、押し倒す!?」
「ああ。こうして……。教えてやろうか? 色々と……」
 そう言って、草の上に凪を押し倒す。
「み、御影!?」
 突然のことに驚いて、というか思いも寄らぬ行為に動転してあっさりと組み伏せられる凪。
「一体……何を」
「何って、指導だよ。軍練科の時も色々と指導してやっただろ?」
 まともな授業の指導を、だったが。
「こうしてやさしく彼女に触れてさ」
「うわっ」
 軍練科時代の名残のキュロットスカートからのぞく膝に触れ、ゆっくりとその手を上へ上へとはい上がらせて行く。凪のふとももは引き締まっているが、程よい弾力を持って返してくれ、なかなかいい脚をしている。
「凪……」
「み、みか……。あっ!」
 手が深いところのふとももにまで触れると、さすがの凪も声を上げた。
「何を――」
「ここ、こうすると、イイだろ?」
「……ぁあっ!」
 恐らくそんなところに触れられるのは初めてなのだろう。思わず調子に乗って彼女を引き寄せた時だった。
「な……何やってるの!」
 突然響いた声にふたりして顔を上げる。
 見上げると木立の向こう、うららかな日差しが降り注ぐ中、涼花が仁王立ちしていた。
 少女らしく丸みを帯びた頬、翡翠色に光る神秘的な大きな瞳、通った鼻筋、腰まで伸ばした髪はつややかで実にやわらかそうだ。やわらかいと言えば普通科のスカートから伸びた脚もまたまぶしくて魅力的だ。神の作った完璧な美少女がそこにいた。
「やあ、涼花ちゃん。今日も可愛いね」
 凪に覆いかぶさったまま思った通り口にすると、涼花が口をぱくぱくさせた。
「な、何言ってるんですか! 凪と……いったい何を――」
「涼花、違うんだ! これにはワケが!」
 浮気を見とがめられた亭主よろしく凪が間抜けな言い訳を口にする。現場をしっかり押さえられてワケもなにもあったもんじゃない。
 その原因を作ったのは自分だが。
「待ってくれ、涼花! 違うんだ! あれは御影がふざけて」
「もういいわよ! お弁当は玲と食べるから! 凪は御影さんと一緒にいれば」
 ぴしゃりと言い放ち、ずんずんと歩いていってしまう涼花。その後を凪が必死で追いかけてゆく。
 御影は左腕で頭を支えるようにごろりと横になり、ふたりを見送った。そしてぽつりとつぶやく。
「いいねえ。若いって」
 それから頭の下で腕を組み直して、仰向けに寝転がった。
 見上げると木漏れ日の向こうに青空が見えた。ふんわりとした綿菓子のような雲たちがぷかぷかと浮いている。
 浮いているといえば自分も気持ちもそうだった。
 自分はどうしたいのか?
 朝、下駄箱で気まぐれにゆかりにちょっかいを出した。どうも彼女がラブレターを受け取ったのが面白くなかったのだ。自分だっていくらでもそれこそゆかりが受け取っている以上のラブレターを受け取るが、それはそれ、だ。
 だって彼女は自分を好きなんじゃないのか。
 だからつまづいた振りをして、ゆかりに抱きついた。彼女の反応が見たくて。
 「事件」の時、彼女は言った。自分を好きだと。だからあの時、抱きしめてキスをした。あの時は本当にゆかりの気持ちを嬉しいと思ったし、それに応えてやりたいというか、応えたかった。想いを告げたものの、決して報われるわけがないと思い込んでいた彼女の懸命な想いに応えたかった。だからキスをした。
 それはただそっと触れるだけのキスだった。
 でも軽い気持ちで女の子たちとするようなキスじゃなかった。
 不思議な感覚だった。
 好きだけど、これは友情や同情の「好き」なのか? それとも本当に彼女のことが好きなのか?
 分らなかった。
 分かるわけがなかった。
 何せ自分は恋だの愛だの言いながら、お手軽にしか誰とも付き合って来なかったのだから。

 心臓が止まるかと思った。
 自分をからかうための単なる冗談なのだと分かってる。だからこそ嬉しい態度なんて見せられるはずなかった。
 今朝の下駄箱での御影とのやりとりを思い出し、ゆかりはため息をついた。
 時計は午後十時を回っていた。寮の自室のドアを閉め、カバンを机の横に立て掛ける。いつもなら課題の準備のため、すぐにカバンの中を改めて、データの確認をするが、そんな気になれずに制服のままベッドに寝転がった。
 ――どうせPCもないし。
 ゆかりは先の事件以前から、事件の首謀者であった綾瀬学園長の秘書のまね事のようなことをしていたせいで、度々綾瀬の内部調査室なるところへ呼び出されていた。
 事件とは綾瀬の中枢にかかわる問題であり、それは非常にデリケートな問題だった。事件そのものは未然に防がれたものの、問題視した綾瀬が内部調査室を出動させたのだった。
 その際、私物であるPCも携帯端末も、授業用のデータファイルも何もかもが没収されてしまい、お陰で部屋の中はスカスカだ。内部調査室の連中は事件に関係のない個人的な蔵書や私物までも没収してしまっていたのだ。
 ――当たり前よね。
 空になった本棚や機器を見て思う。
 ゆかりはコンピュータを扱うことにおいて天性の才能を有していた。
 普通科に転科する以前は軍事訓練科の情報コースに在籍しており、それゆえ非常に優秀なプログラマであり、ハッカーでもあった。データ化されたもので彼女が操作することができないものなど何もない。正直なところ彼女自身、そういう自負もあった。
 だからと言って個人的な私物まではどうかと思うが、そういったところに事件にかかわる何かの書きつけがないとも限らないと判断したのだろう。それにそうされるだけのことをしたのだ、自分は。
 成績優秀で品行方正で教師の覚えよろしかった立場を利用し、綾瀬学園長に近づいた。事件において直接綾瀬学園長の有利になるようなことはしていないものの、彼の動向を探るためとは言え、彼の近辺にいたのだ。
 だがそのことについての釈明はいやと言うほど何度もしてきた。
 生徒会長であるがゆえ学園の利益を守るため、という釈明を。――もちろんそんなのは単なる建前だった。
 本音は、進んで事件のことに首を突っ込もうとしていた御影を「綾瀬」という巨大なものから守るためだった。けれどそんなことを釈明して何になるのか。命を賭してまで守ろうとしたものがただの幼馴染みひとりだと誰が信じようか。
 だが一見曖昧な動機のお陰で何度も内部調査室に足を運ぶことになり、さすがのゆかりもへとへとだった。ベッドに横になったまま起き上がれそうになかった。
 内部調査室の尋問は執拗で、それに答弁することは非常に神経を擦り減らせた。
 もう何もかも忘れてしまいたかった。
 けれどそうは思うのに、こんな時でさえ頭に浮かぶのは、誰かさんの顔で。
「……もう重症だわね」
 自嘲的にそう言って笑った。
「ホントに趣味悪すぎよ。自信過剰で、ナルシストで、自分勝手で、女の子とみれば誰でも口説いて、……鈍感で」
 ……ひとの気なんか知りもしないで。
 あんな風に気まぐれにやさしくしたりして。
 あの日、彼女はキスをした。
 そっと、触れるだけのキスを。――自分にとっては生まれて初めての、キスを。
 彼女にとっては、誰かと何度もしてきたようなキスを。
 でも、たとえそれでも嬉しかったのだ。気まぐれでも同情でもなんでもいい。彼女が、キスをしてくれたのだ。
 ゆかりはそっと唇に指を当てた。目をつぶり、あの時の感触を思い出す。最初で最後の感触を。
 あれはただの気まぐれだから。
 それ以上望んだって仕方のないことだから。
 大丈夫。自分の気持ちを誤魔化すことなんて慣れてるから。今までだってずっとそうして来たから。
 ゆかりは重たい身体をなんとか起こし、机の前まで足を進めた。そして引き出しを開ける。そこには小さな小瓶があった。瓶には有名ブランドのロゴが記されている。
 ゆかりはポケットからハンカチを取り出し、瓶の蓋を開け、ハンカチに向かってポンプを押した。小さな霧の粒がふわりと舞う。やわらかな香りが香った。
 御影から香った香水と同じ香りだ。
 彼女に秘密で同じものを買い求めた。もちろん自分でつけるためじゃない。
 ハンカチを胸に押し当てると、自然と今朝のことが思い出された。
 いたずらに抱き締めた彼女。その感触を思い出すだけで、気持ちが舞い上がるのが分かった。けれどそれと同時に胸が苦しくなる。
 いたずらに。そう、あれは彼女のお遊びなのだ。その他大勢の女の子にちょっかいを出すのと一緒。
 そう。
 あの日、事件が起きた時にこの想いを口にしてしまったから。自分へ好意を向けられていると知ったから、気まぐれにやさしくしただけなのだ。
 同情なのだ。馬鹿みたいに何年も思い続けた幼馴染みへの哀れみだったのだ。それが分かっているから胸が痛い。
 だって彼女の好みはもっと可愛げのある女の子なのだ。勉強なんてできなくてもいい。それに彼女は小柄な子が好きで、自分のように身長が一六五を越えてはだめだ。ふわふわ綿菓子みたいな女の子。真面目で面白みのない、品行方正を絵に描いたような自分とは大違いだ。
 分かり切ったことなのに。
 それなのにこんなふうに彼女と同じ香水をこっそり買い求めたりして。
「……ばかみたい」
 そう口にしてしまうと、本当に馬鹿みたいに思えた。
 ゆかりは机に着席すると、エア・モニターを起動させた。机の上にB2程度の大きさの、半透明の入力装置が斜めに浮かび上がる。備品として寮室に備えつけられているもので、飽くまでもモニターとして稼働するだけで、付属の記憶装置はなく、記憶装置は各々が外部記憶装置(ファイルメモリ)などを接続して使用する。
 けれどゆかりは、特進コースに通う者の特典としてひとり部屋なのをいいことに、勝手にプログラムを組み替えて、傍目には分からないように記憶装置(ハードディスク)に接続させていた。起動させたとしても、特殊なプログラムを走らせなければ、モニターにハードディスクは認識されない。お陰でこのハードディスクは回収されず無事だった。
 どうせ事件が明るみに出れば、自分の身辺のすべてのデータは没収されるであろうことを予測してあらかじめ設置していた「保険」だった。案の定、私物であるPCも携帯端末もファイルメモリもすべてを回収されてしまったが、机の下に貼りつけたハードディスクには内部調査室の連中は気づかなかったのだ。携帯やその他のファイルメモリの中にあるものは、どれも差し障りのないものばかりで、本当に大事なデータはこちらにある。
 まあ、天才ハッカーとはいえ学生ごときがそこまでするとは予想もしなかったのだろう。――当たり前だ。
 ゆかりはカバンからメガネを取り出し、かけた。そしてモニターに向かい合う。
 課題をこなすためではない。
 エア・モニターをすばやく操作すると、ビューアーが立ち上がり、いくつかの写真が浮かびあがった。――御影の写真だ。ニュージーランドの広大な自然を背景にくるりと振り向いた御影が微笑んでいる。修学旅行の時の写真で、誰でも買い求められるものだ。いくつかの動画もあった。どれもただのスナップばかりだ。
 ――暗い。
 暗すぎる。
 ひとりきりの部屋でこんなふうに写真を眺めるだなんて、暗すぎる。
 ゆかりはため息をつくと、モニターに顔を突っ伏した。質量のないモニターを突き抜け、机の固い感触が頬に触れる。
「……御影の、ばか」
 小さくつぶやいて、瞳を閉じた。
 こんな気持ちにさせて。――御影のばか。下駄箱の時みたいにちょっかいは出してくるくせに、そのくせなんとも思ってなくて。やさしい言葉も態度もいらない。
「……ばか」
 その時、コンコンと誰かがドアをノックする音が聞こえた。
 こんな時間に、クラスメイトだろうか。
 ゆかりは「はーい」と返事をすると、ためらうことなくドアを開けた。果たして廊下に立っていたのは。
 ――御影だった。

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